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3月14日
妹に好きな人が出来たのではないか。昨日も一昨日も、正確には四日前の午後九時を過ぎた頃から毎日、隣で一時間ほどtelをしている。日に日に夜遅い時間帯になる。言葉はわからないが、声の調子がはしゃいでいて少し気取っている。日が経つにつれ沈黙が長くなっていく様子が友だちのtelと違う。黙っている時、相手が話している気配もない。二人は耳を傾けあってる。彼女、私には決して相談しないだろう。
朝は納豆、生卵、海苔、油あげとワカメの味噌汁、きゅうりの浅漬け。母と二人で。妹、起きて来ず。母の一人しゃべり。テーマは節税。聞くふり。
8:32AMのバスで会社。乗車時、前のおじいさんが転びかけたのをとっさに支えたら左足から乗ってしまった。何年ぶりだろう。スキーで右足を折って松葉杖だった時以来。それが気になってか、エンジン音がいつもより高く聞こえた。最近耳がちょっとおかしいかも。
社では一日パソコン仕事。迫田さん(今日は不機嫌だった。生理だろうか)が部長に提出する書類、インドネシア工場からのネックレス完成品がどんなペースで輸入出来るかの見積もりを手伝う。細かい計算に気をつかった。昼は陽華亭、長崎ちゃんぽん(本日75点)。
午後、「不要な数字の確認(迫田さんはそう言った)」に私がこだわり過ぎるとクレームをつけられた。が、工場からは1~2%の欠損品が来る。特に月をまたいでのレポートに月末状況の記載漏れが多いのは事実。それを正しい範囲で予測出来るのならするべきと反論した。迫田さんはなにしろ不機嫌なので、常日頃の私の態度にまで文句を言い出す。
つきあいが悪いと言う。人を見下して黙っていると言う。ふたつのことが同時に出来ないと言う。話しかけづらいと言う。言うまいと思ったが、思わずそれは全部迫田さんのことじゃないかと指摘した。すると迫田さんは目を丸くして、珍しいと言った。遠野さんにもそんな声が出るのか、と。私はさほど大きな声を出したつもりがなかったし、論点がずれている。拍子抜けがして、話しているのがバカらしくなった。
残業なし。会社飛び出る。19:02PMバス。希山停留所付近、大幅な道路工事が始まっている。季節外れ。冬にまとめればいいのに。
夕食は家で。母と妹が作った春巻(具の水切りが甘いのか揚げたてでも皮がしなしなしていた。60点)、かぶのカニあんかけ、油あげとワカメの味噌汁(朝に同じ)、もやしのナムル。私が父の椅子に座るようにしてから三ヶ月(母は今日もちらっと責めるようにこちらを見た)、家の中に空白がある感じは多少埋まっている。凍りついていた家族が溶けて動き出したようにも。ただ、その変化について二人に話すつもりはない。
観察。食卓での妹は気が急いていた。いつもノロノロ食べるのに春巻を自分の分だけ二本、先に取った。母の皿にも二本、一度に乗せて嫌がられた。テレビでは『金八先生』が印度カレーの話をやっていたが、妹は毎週録画するほど好きな番組を注意力散漫にしかみなかった。早くみんなに食事を終わらせて部屋に入れてしまいたいようだった。
妹はたくらみに気づかれているとはまるで考えていない風で、目は浮ついているし、急ににやにやしたりした。ひとつのことしか頭にないような顔で、エサにばかり熱中している小動物めいていた。彼女が昔飼ってたハルを思い出した。よくしゃべるインコ。得意なセリフは「イラハイ、イラハイ」「タケヤ、サオダケ」「ミワチャン、カワイイ」だったな。すべて母が仕込んだ。
『金八先生』が終わってすぐ、リモコンをとって私が観てない先週分をわざと再生してみた。本気で観る気などなかった。妹の顔はみるみるくもり、簡単にいらだった。やはり彼女は私たちがいつまでもダイニングにいると都合が悪いのだ。かわいらしいこと!
ところがそんな事情には一切かまわず、母はドラマのテーマが男女の違いだったと言い出し、カイコのオスメスの話を始め、結果いつものエピソードの連続になった。ビデオを止めて、話に無言でつきあう。
妹は「桐生とカイコの意外な関係」のあたりでキッチンに入り、片づけものをして食後の時間短縮をはかった。常日頃、作ることしか面白くないと言って片づけは主に母か私にまかせるのに。妹はお茶さえ出そうとしなかった。私は率先してダイニングを出、シャワーを浴びた。終わってすぐに母にも入浴を勧めた。
私は、それが誰であれ妹が相手とうまくいけばいい、と思っている。本気で。私だってあの日までは二日に一回、彼にtelしていた。わずか3分強ずつだったけれど。簡潔に4分以内と私たちは決めていた。時間を守るゲームのふりをした。本当の理由から目をそらして。
母、妹は相手が異性だとはついに気づかなかった。何かの事務連絡くらいに思っていたはずだ。それは半年も続いた。そして半年しか続かなかった。やめよう。またこの話だ。
(遠野香の日記より許可を得て抜粋)
『恋とは何かをあなたは知らない』
恋とは何かをあなたは知らない
ブルースの意味を知るまで
やがて失うその恋におぼれるまで
恋とは何かをあなたは知らない
唇が痛むのをあなたは知らない
キスをするまで
その代償を支払うまで
ときめいて そのときめきを失うまで
恋とは何かをあなたは知らない
あなたにわかるだろうか
虚ろな心がいかに追憶を恐れるか
涙の味を知った唇たちがどうやって
キスの感触を失っていくか
成就せず滅しもしない恋のせいで
どれほど胸が焦がれるかをあなたは知らない
眠れぬ嘘で夜を明かす日々が来るまで
恋とは何かをあなたは知らない
(日本語訳・佐治真澄)
『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』 本会議開場時BGMより
http://www.youtube.com/watch?v=y4XJdYk2DIA
第一小説、9-4と9-5に手を入れた。
『BLIND』に振ってる番号とデータ番号がずれてよくわからないことになっているので、直してます。
が、今後も少し混乱するかも。
ともかくcase-k版で上から下へと読んでいただければ、と。
『BLIND』9-5
それからというもの、美和は何かを忘れたような気持ちにとらわれた。入社研修の予定表を何度も見直したし、提出書類の点検もした。母からの頼まれ事がなかったか、キッチンの横を通る度に冷蔵庫に貼られたパネルを見るのだが、壮子の乱暴な文字は姉・香に貸した千円の返却を要求するのみだった。
胸に空洞が出来ていた。失った部分があるのだが、それが何かわからなかった。空洞をのぞき込もうとすると周縁がキュッと閉じた。すると痛みに似た感覚が美和に生じた。美和はその痛みに執着し、かえって繰り返し失ったものを探した。
同時に、忘れたもの、失ったものが不意に現れ、自分を罰するのではないかという漠然とした怖れもあった。リビングでノートに新しいパンの構想を書きつけている時も、“女子大生たちがひなびた温泉旅館を建て直す”という内容のテレビドラマシリーズ(『湯けむり女子大生騒動』と判明。八十年代中盤から日本では女子大学生がもてはやされた。ちなみにこの時期くらいを境にして対象は女子高生になる)を母とぼんやりと見ている合間にも、電話を切ってからめっきり増えた鼻歌のとぎれた瞬間にも、美和は急にひどく罰せられるような気持ちになった。
一方、徹は失ったものを明確に知り、苦しんでいた。前の晩の数分、徹は相手の名前も電話番号も聞かなかったことに満ち足りていた。何もわからないのに自分たちがつながっていたのは奇跡だと思った。
だが、蛍光灯の明かりの下で灰色の電話機KL-B200を見た途端、徹は巨大な不安に包囲された。自分からかけることが不可能なのだった。黄色くぶ厚い電話帳を開いたところで自分は相手の名前すら知らない。
二度とかかってこないのではないか。
徹はそう思った。もともと気まぐれにかかってきた電話だった。声を聞けば知らない人だった。会話がはずんだわけでもなかった。むしろ沈黙が支配していた。考えは悪いほうにばかり向いた。
徹は無言で小さな赤いソファの上に座り続けた。電話の内容を幾度も反復し、彼女の声を思い出してみた。たった一人につながれないというだけで、あらゆる連絡網から断絶されている気がした。世界の中で孤立していると思った。
あくる日は土曜日で、晴天だった。「あらはばきランド」には予想以上に客が入った。徹は「レイン・レイン」の操作室にこもり、通常より多く『サンダーフォレスト』に嵐を起こした。
その間も徹はずっと考えていた。
二度とかかってこないのではないか、と。
9-5
ヘレン・フェレイラ(米国)
ルイ・カエターノ・シウバ(ブラジル)
『BLIND』9-4
ガチャリという音がした瞬間、美和は小宇宙を吸うかのように口を開けてのけぞり、そのまま動けなくなった。
はい、華島ですが。
という声が続いて受話器から耳に響いた。いや、本当はあとからそう思っただけで、実際は聞き取れない低い言葉が部屋にするりと入り込んできたと感じたはずだった。
翌3月11日金曜日、午後9時過ぎ。
自分がかけたのだから相手が出るのは当たり前だった。なのに美和は不意をつかれ、泣き出しそうになったのだった。
もしもし、もしもし。
声は何度か繰り返され、美和の正体を明かすよう迫った。美和は凍りついて動けなかった。
だがそのあと、意外なことに声は子供をあやすようにやわらいだ。
えっとー。
と声は言った。そして、
昨日に引き続きこんばんは。
という言葉になって短い笑いに変わった。
美和は思わず硬直をとかれ、
あ。
と言ってしまった。
それが最初の会話になった。
ごめんなさい、何度もあたし。
とだけ美和は続けた。言葉の束がほどけ出すような気がした、という。
すると今度は相手が、つまり徹が、
あ。
と言った。
ひとつ呼吸があって、
僕、子供かもしれないって思ってました。
と徹はなぜか感心するように言った。
あ、違うんです。
と美和は答えた。
子供じゃ……。
と言ったのは二人同時だった。それぞれに言いたいことは異なっていた。
ゆずりあって黙り、互いに相手の息の音を集中して聞いた。
しばらくそうしていた。相手の無言にじっと耳をすますことが、すでに両者にとって懐かしい行為になっていた。美和も徹も留守番電話のテープを通して、何度もそうしてきたのだ。
やがて美和はもう一度、ごめんなさいと謝り、間違い電話をかけたら留守番電話のメッセージに使っている音楽が気になり始めてしまって、と言った。
徹は即座に曲名を答え、どんなアルバムに入っている曲であるか説明をした。園田さんに借りたものであることまで言おうとして、徹は口をつぐんだ。
すると、その日三度目の、
あ。
という声が美和の小さな口から飛び出した。
知っていたのだった。前日、リビングルームで見ていたのに、かけそこなっていた。それはやはり父の持っていたレコードの中の一曲で、まだ父が家にいた頃、何度かかかっていたのだ。
それが大きな意味のある偶然だと美和は感じた。けれども、それを華島徹にどう話せばいいものか、そもそも話すべきかと美和は迷った。
美和は黙り込んだ。
その沈黙を徹は苦痛に感じなかった。
徹も黙っていた。
その沈黙に美和も耳を傾けていた。
ついにその日、三十分ほど二人は何も話さず、しかし受話器を握り続けた。
じゃあ、また明日とかに。
と徹が言い、
うん。
と美和は答えた。
電話を切ったあと、徹は相手の名前さえ聞いていないことに驚くとともに、そうであることに深い満足感を抱いた。
美和は階下に静かに降りてアナログレコードを一枚見つけ出し、それをカセットテープに録音して自室で聴いた。
9-4 金郭盛(韓国)