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タイの恋愛学者アピチャイ・ホンターイが故国で悲惨な事故にあう百日ほど前、つまり彼と私が共に日本の事例を調査研究していた折に判明したことだが、1994年3月19日に「あらはばきランド」で縄文デイを見ていた華島徹と園田吉郎をさらに遠くから眺めていたのが企画部の犀川奈美38才なのであった。
犀川は当日の午後、四階建ての本部ビルの屋上にいた。社内で飼っていたハムスターを透明の球体に入れて散歩させたすぐあとのことである。犀川はその屋上からランド全体、またはその西側に連なる小山を見るのを息抜きとしていた。イベント会場にいる華島と園田がこそこそと話をしているのを見つけた犀川はメンソール入りの細い煙草をくわえ、一度大きく煙を吸うと、社の者には絶対に聞かせることのない深いため息をついた。まるで小さな黒い岩をビルの上から落とすかのように。
ため息は華島にも園田にも関係がなかった。それは純粋に犀川の個人的な問題に起因していた。彼女は二年以上、ある変事を抱えていた。端的にいえば、犀川奈美は悪霊と大恋愛をしていたのである。
始まりはもっと前、六年はさかのぼる。犀川は一人の男を愛した。痩せていて羊のような癖毛をした男は時に犀川に暴力をふるい、金を借り倒し、連絡なしに外泊を続けた。だが、犀川は男との関係に固執した。半同棲生活が一年ほど続いたあと、男は忽然と姿を消した。
少ない友人たちにも男のふた親にも弟にもいっこうに連絡がなかった。犀川は警察に捜索願を出して男を待った。自分に男が必要であるように、男にも犀川しかないと思った。二人は傷をつくりあい、それを強く押しつけあい、互いの肉と骨とを癒着させたのだと犀川は考えた。離れられないのだ、と。
亡くなったことにしないと奈美ちゃんが壊れる、と友人たちが言い出した。新しい縁もあるだろうにと心配してくれたのだった。
男が消えて二年後のこと、犀川自身は拒んだのだけれど、ある冬の晩に数人の男女が犀川の家に集まって男をしのぶ会を行った。位牌こそ作らなかったものの、友人たちはテーブルに果物や酒や男の好きだったビーフジャーキーなどを置き、献杯めいたことをした。
犀川はただ黙って儀式につきあった。もしかしてという憂いはあったが、犀川は男が死んでいるとは思いたくなかった。
行方不明になった男が死んだとされたその晩遅く、友人たちがみな帰ったあとのがらんとした部屋でラップ音が始まった。リビングの中央に吊り下げられたバラの形の照明の周囲を小さな破裂音が駆けた。やはり男はこの世のものではないのか、と犀川は胸が潰れるように思い、同時に体の奥が熱く溶けるような幸福感にも貫かれた。男は自分に会いに来たのだと思った。犀川は立ち上がり、音を追って部屋をへめぐった。
気づくと、玄関とリビングをつなぐ廊下の白壁に薄茶色の古い血痕めいたシミが浮き出ていた。シミからはそれより少し濃い色の液体が垂れた。犀川は何度も深呼吸をし、頬を叩き、洗面所で鏡の中に自分を映して正気を確認してから廊下に戻った。シミも液体も変らずそこにあった。犀川はへたり込んで壁に手をつき、しみ出る液体をぬぐって口にした。男の精液の味がした。犀川は太い声で泣いた。息が長く出来ないほどの命がけの嗚咽だった。体から体がごっそり抜け出るように感じた。
いつの間にか、犀川は冷え冷えとした廊下に身を横たえて眠っていた。悪夢が彼女を襲った。眠りの中で女の体は宙を浮き、地に叩き落とされ八つ裂きにされ火にくべられた。目玉をくりぬかれ、舌を切られ喉を何度も鋭利な刃物で突かれた。痛みはきわめてリアルで度々夢から醒めた。
しかし彼女はしがみつくようにまた眠りに向かった。戦いに挑むように、大切なものを二度と失わぬように、女は自分を傷つける世界へ走り込んだ。
それが毎晩だった。光のあるうちに犀川は仕事に出かけ、夕食を外ですませて家に帰った。部屋の中はいつもめちゃくちゃだった。テレビは倒れ、CDは散乱し、メダカのいる小さな水槽の中にスリッパが突っ込まれていたこともあるし、天井には切りつけられたナイフの跡、壁のシミは日々別な場所に現れ、床自体に糞尿じみた臭いのする粘液が溜まっていた。
犀川は生きた男の粗相を片づけるように鼻歌など歌いながら二時間強をかけて部屋を元に戻した。天井の切り跡や壁のシミは翌日には必ず消えたが、犀川はそれでも濡れタオルをよく絞り、男の体に出来た疱瘡を癒すような丁寧さでそこを拭いた。
現象は犀川だけの思い込みではなかった。男の仮の葬式以来あまり招かれなくなった友人の一人、元木和江はある時、地下鉄有楽町線の駅構内でばったり犀川に会い、驚愕して彼女の腕をつかんだ。
「奈美、その腰に憑いてる犬は何?」
元木によれば犀川の腰回りにぐるりと一頭の茶色い中型犬が張り付いており、その他にもよく見れば赤い老婆や厚い眼鏡の青白い青年などが背中に覆いかぶさったり、頭の上によじのぼったりしていたのだという。
あたしも霊感の強い方ではあるけれど、と元木は私たちに向かって目を丸くしたものだ。あそこまではっきりと霊の憑いた人間を見たことがない、と。
元木以外にも、特に茶色い中型犬の存在を見てとる者は少なくなかった。犀川が街を歩いていると横断歩道で、スーパーマーケットの冷凍品売り場の前で、タクシーの後部座席で犀川は何度となく話しかけられた。一刻も早くその犬の霊を祓うべきだと彼女は忠告された。私が今から祓おうと池袋駅のホームで言い出した僧侶もいた。犀川の肩をつかんで早くしないとあなたは死んでしまうと言った女性もいた。
先に名を挙げた元木和江はそのまま犀川の家に押しかけた。部屋に入った途端、元木もまた怒り狂うような激しいラップ音を聞き、目の前の壁にシミが浮き出ては消え、小刻みに停電したり触ってもいないラジオが大音量で鳴ったりするのを体験した。悲鳴を上げ続けた元木の声は一時間もしないうちに嗄れてしまったのだそうだ。
だが犀川は絶対に霊を祓わないと言った。中型犬も老婆も青年も男に関係した何かなのだ。むしろ自分は男自身にとり憑かれる日を待っているのだし、毎晩のむごい悪夢こそが男からの愛の濃さだと知っている、と犀川は澄みきった目で元木にそう話した。その時の声の優しさはまさに聖母というべきものだった、と元木は語っている。
酒乱の男に尽くす女のように、犀川は不可思議な現象にこそ喜びを感じていたのだった。コップが浮き、壁に叩きつけられて割れ、破片の断面から血のようなものがにじみ出てくると、犀川はそれを口の中に入れた。キッチンに飾った切り花はひとつずつ潰されたが、女はその潰れた形のままをドライフラワーにして保存しようとした。引き出しが開けられ、中の物をすべて床にぶちまけられれば、その散乱の中に男との思い出の品がないかひとつひとつつまんで眺め、あるとそれを写真に撮った。
元木和江に再会した日からだと犀川は記憶しているが、悪夢の中に茶色い中型犬が出てくるようになった。犬はまずさかんに骨を欲しがった。犀川は男がどこかで圧死したのだと思った。骨を粉々にされて死んでいるからこそ、男はかわりの骨を求めているのだ、と。犀川は泣いた。男の無残な死に方が可哀想で仕方なかったし、そのことを犀川に訴えるようになった男により一層の愛しさを感じた。
やがて犬は遠吠えを始めた。家がきしむような、不安定な長い声だったという。犀川はそれを男のオペラだと直感した。男は犬に変容して歌っている。自分がそれを聴く以外、誰が耳を傾けるだろうか。犀川は夢の中で腕を切り落とされ、足の裏に真っ赤な焼きごてを押しつけられ、喉の奥に金属の棒を突き込まれながら目をつぶり、男の歌劇を聴いた。男は犀川への未練を歌っていた。
ただ、行方不明になるまでの男の趣味はブルースギターであり、オペラを好んだ形跡などどこにもなかった。むしろオペラは犀川の好みだった。男がオペラを歌うなどということは、友人たちからすれば絶対にあり得ないことだった。
どうやらそのようにして、犀川奈美は悪夢を手なづけつつあった。悪霊自体そうだったといえる。霊の引き起こす無意味な現象のひとつずつを、犀川は例外なく自分への愛を基本として解釈し、対応し、受け入れた。根負けしたのは悪霊の方だったかもしれない。
したがって、犀川が華島徹や園田吉郎を屋上から見てため息をついた頃には小康状態が訪れていた。悪霊の暴れ方にアイデアがなくなってきていたのである。
ありとあらゆる事態に犀川奈美は素早く最適の処理をした。部屋中に防水処理がしてあったし、割れる素材の小物は捨てられ、ゴムやビニールに変えられた。スピーカーを廃品処分したため、男の残していったステレオはヘッドフォンを通した最大音量を出すのみですっかりポルターガイストの迫力を失っていた。何よりも悪霊は恐ろしさを感じない犀川に落胆の色を隠せないでいたのではないか。やることの規模が小さくまとまり、同じことが夜毎おざなりに繰り返されていたことでそれがわかる。
むしろ、犀川が本部ビルの屋上から落としたため息は、求める刺激を得られない女のそれだったともいえるだろう。悪霊と隠れて過ごした波乱の恋愛の日々が、すっかり落ち着いたものになっていた。もちろん犀川はまだ愛に満ち、男への思いに燃えてはいたのだが。
そして私ワガン・ンバイ・ムトンボは思うのだ。
女に辟易とした悪霊が同志アピチャイ・ホーンターイに憑き、海を渡ってあの大事な人を死に至らしめたのではないかと。その意味では、私は犀川奈美を決して許すことが出来ない。彼女がもっときちんと悪霊に振り回されるふりをしていれば、我々はあの笑顔の柔らかい優秀な恋愛学者を失わなくてすんだのである。
ワガン・ンバイ・ムトンボ(セネガル)
ーアピチャイの思い出とともに
『BLIND』10-1
電話口で美和は息をのんだ。
その言葉が相手から来ないと思ったことはなかった。自分から言ってもおかしくなかった。
それでも美和の心臓は飛び上がるように動いた。
ついにその時だと思った。
数秒の沈黙に徹はとまどった。言ってしまうべきではなかったと後悔し、アサリのボンゴレの話に戻る方法をとっさに探した。しかし、そんなものはどこにもなかった。
会えないかな、という言葉が発された瞬間に二人の無邪気な遊びは終わったのかもしれなかった。責任のない場所で誰でもない人物として存在出来る長い自由時間は途切れた。
徹の脳裏にヒビの入った二人の男女の金属の彫像が浮かんだ。それは錆びていた。だが同時に、徹の体の奥で地上の魚のように跳ね回っている感情があった。会いたいと思う心、あらがえない欲望、そして会えるという期待だった。
会いたいの?
と美和がようやく言った。
甘えるような声だと徹は感じた。
だが、美和には脅えるような音色だった。
窮地に追いつめられたと美和は思い、その場しのぎのように口から問いを漏らしたのだった。そして、「うん」と答えられて逃げ場はもはやないと感じた。
会えないとか、会いたくないという選択肢はなかった。自分も会いたいと思っていた。
けれど、美和は恐れてもいた。自分を醜いと思ったことはなかったが、だからといって容姿に特別な自信があるわけでもなかった。それまで延々と話をし続け、興味の対象やユーモアや道徳観念がよく似ていると思ってきた相手に、実際の自分がどう見えるかまったく想像が出来なかった。
落胆、という言葉が美和の頭の中を占めた。
何か徹が言っていた。
え?
と美和は悲鳴のように聞いた。
名前、教えて欲しいんだ。
と徹は言っていた。せきを切ってあふれ出す好奇心にあらがえなかったのだった。口に出してみて改めて、二人が避けてきたことが自分たちを悲劇に近づけるのではないかと徹は予感した。
だが、引き返すには遅過ぎた。徹は先へ進んだ。
僕は華島徹。華やかな島に、徹底的の徹。
その漢字を思い浮かべてみながら美和は、同時に自分は嘘をつくかどうかに迷った。仮名を使うことは、それまでの数日の間に何度か考えていた。けれど徹の素直な様子が美和にそうさせてくれなかった。ただし、当時の再現であるこの文章の中では仮の名である。
あたしは遠野美和。
と美和は言った。
二人は歩み寄った。
遠い野原に、美しい和の国の和。なんかのんびりした名前でしょ。
美和……ちゃん。
と徹は復唱した。
そう。
と美和は言い、すぐに
徹くん。
とつぶやいた。独り言だったと美和は言っている。
だが、徹は何か語りかけられたと思った。
何?
と徹は聞いた。
二人の対話の調子はそこで逆にかみ合った。
美和はうれしかった。
徹は『美和』という響きが美和の声に合っていると思った。
いつの間にか、二人はアサリのボンゴレが何より春にふさわしい食べ物だという話に戻った。どうやってそうなったかを二人とも覚えていない。ただ、潮干狩りの話題が持ち上がったのは確かだった。日本の子供たちは古い時代から春に遠浅の砂浜に出かけ、そこで貝を採るのだった。
こうして、会えないかという徹の提案は宙に浮いたまま消え去りそうになった。返事は次の機会でもいいと徹は思ったが、美和が電話をかけてこなかったらとも考え、続く話題、やはり春の風物詩のひとつである菓子サクラモチの葉を食べるべきか否か、に集中出来なくなった。
すると、サクラモチはともかく、と言ったのは美和の方であった。
私たち、会えるのかな?
今度は徹が息をのむ番だった。会うことに何か大きな問題があるのだろうかと徹はいぶかしみ、会えない理由を素早く探した。
察して美和は続けた。
会えるのかなって言うのはつまり、どこで会えるのかしらということなんだけど。
ああ。
と徹は安堵した。
えっと、僕は東京の西なんだけど。
と言ってから、徹はその先まで話すべきかわからなくなった。一方、美和はやはり間違いなくそうなのだと思った。彼女は市外局番を知っていたのだから。
わかっていたことでありながら美和は相手がひどく遠いと感じたし、だから自分がいる場所を打ち明けられないと思った。都心まで電車を乗り継いで二時間以上かかると知ったら、徹は自分への興味を失うのではないか。
その徹がささやくように呼びかけてきていた。
美和ちゃん。
うん。
質問が当然あるわけだけど。
うん。
聞いていい?
うん。
君は?
うん?
君はどのへんに住んでるの?
うん。
声は遠くないから、まさか京都とか九州ってことはないと思うんだけど。
うん。
いや、京都でも福岡でもいいよ。遠距離でも。
そこで会話は一瞬ぴたりと止まった。
美和は賭けるように言った。
遠距離でも?
と。
10-1 金郭盛(韓国)
件名 親愛なるカシム-さん-
送信者 島橋百合子
受信者 カシム・ユルマズ
受信日時 2001年8月11日
もうユルマズ様とは書きません。昔通り、カシムさんと呼びます。あなたの好きな「さん」付けで。
さて、でも私はこれ以上何を書けばいいでしょう? そして、何を書くべきかわからないのに無性に何か書きたいと思うのはなぜでしょう?
あなたのような大詩人に抽象的な美しい言葉を書き送る能力が私にはありません。だからカシムさん、具体的な思い出だけをまた思いつくままに書かせて下さい。
あなたが祖国にお帰りになった1953年の暮れ、私は本当に寂しく思いました。あなたは気づいていなかったとお書きになっていますが、私はずいぶん積極的に感情をあらわしていたと記憶します。
私は港で涙を流しました。鯨のような黒くて大きな客船の前で。私はあなたの腕をつかんでなかなか離さなかったはずです。十九才の私はあなたの胸の中に飛び込んでしまいたかったのです。でも、それが恥ずかしくて出来なかった。腕をつかんでいたのはあなたの帰国を止めたいのと同時に、自分の行動を抑えるためでもありました。
あのあと、私は何通か手紙を習いたての英語で書きました。けれど、すべて出さずに机の中にしまい込んだ。今でもその手紙を私は持っています。
文字の中にあるのは、異国の青年への憧れどころではありません。若くて未熟な私が、失ったものを悔いる悲痛な思いです。
私はしかし三年後、父の会社に勤める男性と恋におちるのですから、青春というのはまことに気持ちのうつろいやすい季節です。私たちは一年ばかり交際をし、迷いなく結婚しました。素晴らしい伴侶でした。優しくておおらかで、ちょっと馬鹿で背の高い人でした。
でしたとばかり書くのは、もうおわかりだろうように彼が今はいないからです。神はわずか五年で私から彼を奪いました。貿易の仕事でオランダと日本を行き来していた夫は、かの地で病にかかり、私が駆けつけるのを待たずに亡くなってしまいました。私と、まだ幼かった一人娘を置いて。
私は夫のないまま日本の高度成長期を見続けました。父の会社はみるみる大きくなり、経済的には私にはなんの心配もありませんでした。日本は公害をまき散らしながら、けれどずんずんと一人の巨人が歩くような音を立てて豊かさへの道を突き進んでいきました。
七十年代の熱い政治的な期間を、私は四十過ぎの落ち着いた身の上で過ごし、ただ街頭デモには何回か参加をしました。娘のことだけを考える私は日本がよい国であることを願い、そのためならどんなものとも戦おうと思ってきましたし、そうしてきたつもりです。その後の八十年代も九十年代も。
そしてカシムさん、私もすでに七十才に近いのですよ。あなたはご自分ばかり年をとったようにおっしゃいますが、私も同じ地球で同じ時代を生きてきたのです。
ですから私にも孫がいます。樫という名前で、それはあなたも当然御存知の、常緑で美しい葉を茂らせる頼もしいオークのことです。名前の通り、樫は立派な青年となり、今は海外ボランティアに出ています。
カシムさん、もうおわかりでしょう? 私はあなたの名前の一部を孫に与えたのです。まるであなたがザムバックという名をお孫さんにつけ、それがトルコの言葉で百合をあらわすように。
覚えていらっしゃるでしょうか、あなたが神戸で私に下さった百合の形のペンダントを。あの時、私はザムバックという言葉を教えていただきました。あのペンダントを、私は今の今まで宝物として大切にしてきたのですよ。
だからメールを読んで、とても不思議な偶然だと思ったのです。いや、偶然ではなくて、これは人生も最後の方に至った人間に特有の、若き日々への強い追憶から来ているのかもしれない、と。少なくとも、確かに私はあなたを思い出して孫の名前をつけたのですから。
もちろん私は夫を愛していたし、その思いに変りはありません。けれども初恋をした頃の自分を大事にしたいとも考えています。あの神戸、あの時代、あのあなた、あの私を。
カシムさん、あなたが国際的な詩人の会合で来月ニューヨークにいらっしゃるのを私は知りました。俳人の古い知りあいが自分の欠席をたまたま私の目の前で残念がったことによって。
もしもあなたが、今度は私たち双方にとっての異国の地でゆっくりランチなどおとりになるつもりがあれば、どうぞ教えて下さい。なぜならニューヨークには今、私の樫が仕事で滞在しているからです。私はいずれ、孫に会いに行こうと思っていたところでした。
ばったり空港で会うという驚くべき偶然、そのあとすぐにあなたの渡米を知るという偶然、そこに自分の孫がいるという偶然を、私は運命のような必然としてひととき味わえれば、と夢みています。ただし、あなたはお忙しい身の上、無理にとは申しません。
けれどカシムさん、以下は脅し文句のようになりますが、私たちにだって死期はあるのですよ。悔いることをより少なく余生を送りたいと考える私は、だからこそあなたにこんなメールを書いたのです。
私もずいぶん長く書いてしまいました。拙い英語で齟齬が生じないか、前回同様不安です。
草々。
百合子より。
『BLIND』9-7
あらはばきランドの特設ステージ前は閑散としていた。
1994年3月19日。
ステージでは社長・水沢傳左衛門の肝いり企画、『縄文デイ』が開かれていた。ちょうど3年前の3月から始まったものだった。
一ヶ月の期間中、ランド内のイベントスペースでは連日、日本の縄文時代、人々はこう生きていただろうという推測を大胆にショーアップし、ニセモノの毛皮を着た男女が5人ほどでテーマ曲“狩り、狩り、狩り”を始めとした3曲を歌い踊り、土器を叩くことでリズムを刻み、イノシシ役の男性をステージ上で追いつめて仕留め、様々な声で雄叫びを上げる他、高度な文明があった証として土をこねて食器を作る所作をし、火を起こす真似事などするのだったが、ステージに呼び込まれた来場客の子供たちはたいてい泣くか、つまらなそうな顔で遠くを見た。縄文時代の本物の矢じりを持たせてもらうという特典があったものの、それを喜ぶ子供は3年間で一人もいなかった。
けれど園田さんはその『縄文デイ』のイベントを高く評価し、事実出来る限り『レイン・レイン』の作業の合間にショーを見に行ったし、特にイノシシが捕まるタイミングでは必ず奇声をあげたが、数回付き合わされた僕にはそれがネイティブアメリカンの行動に見えて仕方なかった。
その日も僕は昼食後、『縄文デイ』のセカンドステージに誘われた。園田さんは食堂で「話もあるし」と言った。僕は話ならたくさんある、と思った。ステージ前に行くと、輪になった男3人が女2人の周囲でとびはねていた。音楽はハウリングを起こして耳に痛かった。
まだ寒い日中で、日が当たるのはステージだけで他は暗かった。園田さんはズボンのポケットに手を入れたまま、背を丸めて演し物を見ていた。僕はその隣に立っていた。縄文人(男)の一人がリズムに合わせて槍を突き上げ、もう片方の拳で胸を叩いて自らの筋肉を誇示し始めたのと同時に、園田さんは少しだけ僕の側に顔を向けて言った。
「徹、なんかあったのか?」
「はい?」
と僕は反射的に聞き直した。
「最近」
とだけ園田さんは付け加えた。僕は何を言われているか確信を持ちながらも、もう一方で気づかれているはずがないと思っていた。
園田さんはそのまま黙り、ステージを注視するかに見えた。自分が持ちかけた話を早くも忘れてしまったのだろうか。あっけにとられて園田さんを見た。すると、園田さんの頭の上に白い靄がただよっていた。知っているのだ、と僕はなぜか観念した。
「おかしいですか、近頃の僕は?」
と諦念の中で僕は言った。白状しているに近いニュアンスだった。園田さんはイノシシ役の男性が舞台袖から出てくるのをそっけなく確かめてから答えた。
「おかしいね」
僕は空を仰ぎ見た。園田さんの言葉を待とうと思った。実際、少しして園田さんは続けた。
「そもそも鼻歌が頻繁だよ、徹。どれも影のあるラブソングのかけらだ。しじゅうお前の唇から聞こえてくる。いい曲ばっかりな。だからって悲しい恋をしてるわけじゃないと俺は思う。そもそも恋が憂愁を湛えたものだということくらい、特に初期症状がそうだというくらいは長らく恋人のいない俺にだってわかる。フォーッ!」
最後はイノシシを仕留めた縄文人への賛美になっていたけれど、園田さんは僕の状況をずばりと言い当てていた。数日の間盗聴されていたのではないか、と思うくらいだった。
「相手は?」
園田さんは調子を変えずにそう言うと、僕には一切目を向けないままきびすを返して『レイン・レイン』の方に歩き出した。ショーのクライマックスと園田さんが考えている場面はもう終わっていたのだった。というより、ステージに上げて矢じりを触らせるべき子供が客席に一人もいなかった。観客は園田さんと僕だけだったのである。
気づけば、園田さんはすでに数歩遠くに行っていた。僕は追いかけそこね、視線を空に向けた。“縄文デイ 原始の力”と白地で書かれた小さな赤い風船がステージの上空に飛んでいた。園田さんはこちらに背を向けて去りながら、今度は大声で言った。
「相手は誰だ?」
園田さんはどうしても知りたいのだった。知っている女性ではないかと勘ぐっている可能性もあった。ほんの何分か前まで大人として見守ってくれていると感じたのだが、実のところ単に猛烈な好奇心なのではないかと僕は思い、そう考えるとむしろ気持ちが軽くなって小走りに園田さんの横まで行くと、右耳に吹き込むようにささやきかけた。
「知りません」
「え?」
「園田さんの言う通り、僕は恋におちていると思います。でも相手がどんな人か、いや中身はよく知っているんです、知りあって数日でこんなにわかり会えるのかってくらいに。でも相手がどんな顔のどんな人か、名前もまるでわかりません。知らないんです。電話でしか話したことがないから」
園田さんは許しがたいことを聞いたというように目をむき、一度大きく息を吐くとさらに早足になった。僕は咎められると思い、それに全力で反駁しなければならないと考えて自分も歩を早め、園田さんの右横にぴたりとついた。左に『メリーゴラウンド』、右に『カーライド』のある子供向けゾーンを抜けて行きながら、園田さんは怒鳴り声で言った。
「面白い」
僕は答えるべき言葉を失った。園田さんは聞こえなかったと思ったのか、もう一度怒鳴った。
「面白そうな恋だ」
結果、僕は事情をあらいざらい『レイン・レイン』の操作室の中で話した。僕はその日まで、自分に何が起こっているかを他人に話すべきかどうか迷っていた。けれどすべてを話し終えたあと、打ち明けるなら園田さんしかいなかった、と思った。きっと本当は、誰かに早く言いたくてたまらなかったのだった。
お前からの相談に対して俺が言えることは、と園田さんは前置きをした。僕は相談をしたつもりなどなかったから、まったくの勘違いだった。だが、そういうずれ方こそが園田さんに恋を打ち明けることの気楽さにつながっていた。
「平凡な恋に向かえ。そのままおかしなシチュエーションを続けていても発展はないと思うぜ。だから今夜誘えよ。どうせ電話は来るんだろ? 明日会いたいと言うんだ」
「明日? どこに住んでるかもわからないのに、ですか?」
「お前が聞かないから悪いんだよ。だから相手も聞けない。地上を離れた天使みたいなお付き合いはもうやめるんだよ、徹」
園田さんは白黒のモニターを見上げてさらに言った。
「人間らしく平凡に行け」
そして目の前の操作パネルをあちこち手際よく押し、全館に強い雨を降らせた。
9-7報告者
故アピチャイ・ホンターイ(タイ)
『BLIND』9-6
二人は話した。
柄が白黒反対のシマウマの突然変異が生まれても誰も気づかないのではないか、と二人は言って笑った。
教科書の誰に落書きをしたかと徹は言い出し、自分たちを含めて人はなぜチンギス・ハーンの顔の絵に何か付け足してしまうのかを美和と話しあった。
白封筒の糊づけがうまくいった時の満足感が他の何とも違うと美和は話し、徹は糊づけのあとに〆(日本独特の封緘の記号)を書く時が特別だと言った。
大根の辛さが苦手で自分は子供っぽい味覚を持っているのではないかと徹は話し、美和は自分はピーマンが苦いと思うと話した。
初恋は二人とも中学生の時にしていて、どちらもしごく恥ずかしい顛末だったと告白しあった。
月を見るのが好きだと意見が合い、仕事の帰りに駅までの道を首が疲れるほど見上げて過ごすことがあると徹が言うと、そんなに月がよく見えるところに勤めているのかと美和は確かめるように言った。
年齢が違うことはわかっていたが、高校生の頃に熱中していたラジオ番組が同じであることがわかった。
これまで見た中で一番汚い字を書く人の文字の列が死んだ虫の群れを模写した一枚の絵のようだったと美和は話し、徹はその絵が欲しいと言った。
電話口に流れていくことがあるザーッという雑音が心地よいと二人は話した。
留守番電話のメッセージはなぜ自分の声とあんなに違うのだろうと二人は言い、だから君が聞いている僕の声は本当の僕の声よりずっと低いと思うと徹は言い出し、であれば別の声同士が話しているのだと美和が言って、なんだかおそろしいような気がするという結論になった。
切れかけの蛍光灯のチラチラする光が嫌いだと美和は言い、徹は子供の頃そういう蛍光灯だけを近所の空き家の庭に隠して集めていたことがあると言った。
春の眠さは異様で一日の区切りなく眠ってしまうことがあると美和は言い、徹はそれは自分にもあると言ったあと今はどうかと思いきっておどけて聞いてみると、一瞬も眠くならないと美和は生真面目に答えた。
徹の留守番電話に入っていた曲をなぜ徹が選んだのかを美和は知りたがり、徹は園田さんのことをくわしく話したがそれは答えにはなっていなかった。
エイプリルフールで一番気の利いた嘘はなんだったかと話しあい、美和は明日のエイプリルフールどうする?と当日聞かれたことだと言い、その嘘はしかしなんのためについたのだろうと徹は考え込んだ。
自分は歩き方に特徴があると言われると美和は話し、徹は自分は笑い方にあると言われると話した。
冷たいものが総じて好きだと二人は話した。
朝のスズメの声も好きだと二人は言った。
木の葉なら若葉だと意見が合った。
空は秋がいいと話した。
幅の広い川を少し高い場所から見渡すのが好きだと二人は言った。
ファストフード店のセットの組み立て方が男女ながらずいぶん違っていると驚いた。
今までで最もショックを受けたなくしものは読みかけの長編小説だったと美和は言い、タクシーの中につい置き忘れたそれを買い直したが結末がどこか違うのではないかと疑いが消えなかったと付け加え、徹は幼い頃気に入っていた緑色のキャップのことを思い出してしゃべった。
長電話をすると耳の上の方が痛くなると美和は言い、もっと軽く受話器を持てばいいと答えた徹は自分の耳の上も実は痛いのだと打ち明けた。
BGMがいらないと思う場所はどこかという話になり、海水浴場と徹は答え、美和は山を行く電車の中と言った。
巨大迷路(木の壁を高く複雑に立てて作られた迷路の中を人が歩き、出口を探す遊具がある時期日本で流行した)に行ったことがあるかと徹は言い、美和は二度友人につきあって出かけたがどちらもほぼすんなり解けてしまって気まずかったと笑った。
美和は大学で精読したトマス・ハーディの『日陰者ジュード』のあらすじを女性にだらしない男の苦難と略し、徹はただ相槌を打つだけで読みたくはならなかった。
電話をしながらコップの水を飲むと受話器に触れてこぼれそうになるのでストローを使うことにしたと美和が言い、徹はペットボトルの中身を入れ替えて使おうと思うと言った。
徹は今聞こえる君の声の少し鼻にかかったところがチャーミングだと誉め、美和は私こそそう思っていたと大きな奇跡を前にしたかのように言った。
会ったこともないのにと徹は言い、会ったこともないのにと美和も言った。
二人とも高校までの教室ではいつも前の方の席に座っていたことがわかり、一度後ろに座ってみたかったと嘆いた。
雨が降ってきたと美和は言い、そっちはどうかと聞くと徹は降ってもいないのに降っていると答えた。
電話をしていても相手の声以外のことは何もわからないけれど、自分としか話していないことははっきりわかると言い合った。
二人は長く話した。