第一小説2
2009年 03月 04日
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『ヤマナシ・レポート』
カシム・ユルマズ
(トルコ芸術音楽大学)
2001年7月30日付け
「イスタンブール読書新聞」より
人生は旅である、と私は言いたくない。言ったところで何になるわけでもない常套句の、これこそ筆頭に挙げられるだろう。
人生に旅券は必要ない。旅行鞄がなぞらえられるような対象は、特に人生には見当たらない。人生に終わりは絶対あるが、旅が必ず終わるとは限らない。
人生は人生である。旅はただ旅である。だからこそ、両者は互いを豊かにするのだ。
私は今、日本に来ている。訪れるのはこれで二度目だ。
一度目は、第二次世界大戦の終戦から六年ほど経ってのことであった。私は大学院に籍を置きながら、神戸で二年間、父の仕事を手伝った。私はわずか二十才に過ぎなかった。自分の詩はまだ数えるほどしかなかった。
思えば、当時の私は何も見ていなかった。何も聴いていなかった。日本は日本でなく、ただの異国だった。憧れは個別性の外にあった。
今、ヤマナシという日本列島の中央部近くにいて、私は世界十五カ国の学者・有識者と論議を重ねている。前世紀を最もよく象徴する恋愛とはどのようなものであるかについて話し合いながら、我々はあたかもその恋に直接触れるかのように物語の輪郭をなぞり、恋を舌の上にのせて吟味し、血管の中に流し込んで共に生きている。
イギリスの作家、アーロン・エメットが採集してきた“自分が蟻であると思い込んでいる男と、自分が枯れた樹木だと思い込んでいる女の恋愛”は我々を驚愕させた。
サウジアラビアの財閥系研究機関で人間の行動パターンを数量分析しているハレド・オハイフは、“別れても別れても必ず三日以内に偶然出会ってしまう二人の奇跡の六十年間”という詳細なレポートを実験映像付きで提出し、パリ第8大学きっての無神論者(そう、エミールのことだ!)にも神の存在を再考させた。
このように充実した時間を過ごしながら、私はひとつの確かな考えに支配される時の、あの希有な満足感を得つつある。
人生が旅だとは言えない。
だが、人生は恋愛のようだとは言える。
どちらも時に熱狂的で、現実とはうらはらで、二度と訪れないチャンスの糸で縫い合わされているのだ。
再びの日本滞在で、私はそれを知った。
もう遅い、とあなたは言うだろうか?
たった一人しかいないあなたは。
私の読者よ。
by seikoitonovel
| 2009-03-04 00:17
| 第一小説