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2011年 12月 15日
件名 親愛なるカシム-さん-
送信者 島橋百合子
受信者 カシム・ユルマズ
受信日時 2001年8月11日
もうユルマズ様とは書きません。昔通り、カシムさんと呼びます。あなたの好きな「さん」付けで。
さて、でも私はこれ以上何を書けばいいでしょう? そして、何を書くべきかわからないのに無性に何か書きたいと思うのはなぜでしょう?
あなたのような大詩人に抽象的な美しい言葉を書き送る能力が私にはありません。だからカシムさん、具体的な思い出だけをまた思いつくままに書かせて下さい。
あなたが祖国にお帰りになった1953年の暮れ、私は本当に寂しく思いました。あなたは気づいていなかったとお書きになっていますが、私はずいぶん積極的に感情をあらわしていたと記憶します。
私は港で涙を流しました。鯨のような黒くて大きな客船の前で。私はあなたの腕をつかんでなかなか離さなかったはずです。十九才の私はあなたの胸の中に飛び込んでしまいたかったのです。でも、それが恥ずかしくて出来なかった。腕をつかんでいたのはあなたの帰国を止めたいのと同時に、自分の行動を抑えるためでもありました。
あのあと、私は何通か手紙を習いたての英語で書きました。けれど、すべて出さずに机の中にしまい込んだ。今でもその手紙を私は持っています。
文字の中にあるのは、異国の青年への憧れどころではありません。若くて未熟な私が、失ったものを悔いる悲痛な思いです。
私はしかし三年後、父の会社に勤める男性と恋におちるのですから、青春というのはまことに気持ちのうつろいやすい季節です。私たちは一年ばかり交際をし、迷いなく結婚しました。素晴らしい伴侶でした。優しくておおらかで、ちょっと馬鹿で背の高い人でした。
でしたとばかり書くのは、もうおわかりだろうように彼が今はいないからです。神はわずか五年で私から彼を奪いました。貿易の仕事でオランダと日本を行き来していた夫は、かの地で病にかかり、私が駆けつけるのを待たずに亡くなってしまいました。私と、まだ幼かった一人娘を置いて。
私は夫のないまま日本の高度成長期を見続けました。父の会社はみるみる大きくなり、経済的には私にはなんの心配もありませんでした。日本は公害をまき散らしながら、けれどずんずんと一人の巨人が歩くような音を立てて豊かさへの道を突き進んでいきました。
七十年代の熱い政治的な期間を、私は四十過ぎの落ち着いた身の上で過ごし、ただ街頭デモには何回か参加をしました。娘のことだけを考える私は日本がよい国であることを願い、そのためならどんなものとも戦おうと思ってきましたし、そうしてきたつもりです。その後の八十年代も九十年代も。
そしてカシムさん、私もすでに七十才に近いのですよ。あなたはご自分ばかり年をとったようにおっしゃいますが、私も同じ地球で同じ時代を生きてきたのです。
ですから私にも孫がいます。樫という名前で、それはあなたも当然御存知の、常緑で美しい葉を茂らせる頼もしいオークのことです。名前の通り、樫は立派な青年となり、今は海外ボランティアに出ています。
カシムさん、もうおわかりでしょう? 私はあなたの名前の一部を孫に与えたのです。まるであなたがザムバックという名をお孫さんにつけ、それがトルコの言葉で百合をあらわすように。
覚えていらっしゃるでしょうか、あなたが神戸で私に下さった百合の形のペンダントを。あの時、私はザムバックという言葉を教えていただきました。あのペンダントを、私は今の今まで宝物として大切にしてきたのですよ。
だからメールを読んで、とても不思議な偶然だと思ったのです。いや、偶然ではなくて、これは人生も最後の方に至った人間に特有の、若き日々への強い追憶から来ているのかもしれない、と。少なくとも、確かに私はあなたを思い出して孫の名前をつけたのですから。
もちろん私は夫を愛していたし、その思いに変りはありません。けれども初恋をした頃の自分を大事にしたいとも考えています。あの神戸、あの時代、あのあなた、あの私を。
カシムさん、あなたが国際的な詩人の会合で来月ニューヨークにいらっしゃるのを私は知りました。俳人の古い知りあいが自分の欠席をたまたま私の目の前で残念がったことによって。
もしもあなたが、今度は私たち双方にとっての異国の地でゆっくりランチなどおとりになるつもりがあれば、どうぞ教えて下さい。なぜならニューヨークには今、私の樫が仕事で滞在しているからです。私はいずれ、孫に会いに行こうと思っていたところでした。
ばったり空港で会うという驚くべき偶然、そのあとすぐにあなたの渡米を知るという偶然、そこに自分の孫がいるという偶然を、私は運命のような必然としてひととき味わえれば、と夢みています。ただし、あなたはお忙しい身の上、無理にとは申しません。
けれどカシムさん、以下は脅し文句のようになりますが、私たちにだって死期はあるのですよ。悔いることをより少なく余生を送りたいと考える私は、だからこそあなたにこんなメールを書いたのです。
私もずいぶん長く書いてしまいました。拙い英語で齟齬が生じないか、前回同様不安です。
草々。
百合子より。
by seikoitonovel
| 2011-12-15 13:43
| 第一小説