11-3
2011年 12月 05日
『BLIND』9-7
あらはばきランドの特設ステージ前は閑散としていた。
1994年3月19日。
ステージでは社長・水沢傳左衛門の肝いり企画、『縄文デイ』が開かれていた。ちょうど3年前の3月から始まったものだった。
一ヶ月の期間中、ランド内のイベントスペースでは連日、日本の縄文時代、人々はこう生きていただろうという推測を大胆にショーアップし、ニセモノの毛皮を着た男女が5人ほどでテーマ曲“狩り、狩り、狩り”を始めとした3曲を歌い踊り、土器を叩くことでリズムを刻み、イノシシ役の男性をステージ上で追いつめて仕留め、様々な声で雄叫びを上げる他、高度な文明があった証として土をこねて食器を作る所作をし、火を起こす真似事などするのだったが、ステージに呼び込まれた来場客の子供たちはたいてい泣くか、つまらなそうな顔で遠くを見た。縄文時代の本物の矢じりを持たせてもらうという特典があったものの、それを喜ぶ子供は3年間で一人もいなかった。
けれど園田さんはその『縄文デイ』のイベントを高く評価し、事実出来る限り『レイン・レイン』の作業の合間にショーを見に行ったし、特にイノシシが捕まるタイミングでは必ず奇声をあげたが、数回付き合わされた僕にはそれがネイティブアメリカンの行動に見えて仕方なかった。
その日も僕は昼食後、『縄文デイ』のセカンドステージに誘われた。園田さんは食堂で「話もあるし」と言った。僕は話ならたくさんある、と思った。ステージ前に行くと、輪になった男3人が女2人の周囲でとびはねていた。音楽はハウリングを起こして耳に痛かった。
まだ寒い日中で、日が当たるのはステージだけで他は暗かった。園田さんはズボンのポケットに手を入れたまま、背を丸めて演し物を見ていた。僕はその隣に立っていた。縄文人(男)の一人がリズムに合わせて槍を突き上げ、もう片方の拳で胸を叩いて自らの筋肉を誇示し始めたのと同時に、園田さんは少しだけ僕の側に顔を向けて言った。
「徹、なんかあったのか?」
「はい?」
と僕は反射的に聞き直した。
「最近」
とだけ園田さんは付け加えた。僕は何を言われているか確信を持ちながらも、もう一方で気づかれているはずがないと思っていた。
園田さんはそのまま黙り、ステージを注視するかに見えた。自分が持ちかけた話を早くも忘れてしまったのだろうか。あっけにとられて園田さんを見た。すると、園田さんの頭の上に白い靄がただよっていた。知っているのだ、と僕はなぜか観念した。
「おかしいですか、近頃の僕は?」
と諦念の中で僕は言った。白状しているに近いニュアンスだった。園田さんはイノシシ役の男性が舞台袖から出てくるのをそっけなく確かめてから答えた。
「おかしいね」
僕は空を仰ぎ見た。園田さんの言葉を待とうと思った。実際、少しして園田さんは続けた。
「そもそも鼻歌が頻繁だよ、徹。どれも影のあるラブソングのかけらだ。しじゅうお前の唇から聞こえてくる。いい曲ばっかりな。だからって悲しい恋をしてるわけじゃないと俺は思う。そもそも恋が憂愁を湛えたものだということくらい、特に初期症状がそうだというくらいは長らく恋人のいない俺にだってわかる。フォーッ!」
最後はイノシシを仕留めた縄文人への賛美になっていたけれど、園田さんは僕の状況をずばりと言い当てていた。数日の間盗聴されていたのではないか、と思うくらいだった。
「相手は?」
園田さんは調子を変えずにそう言うと、僕には一切目を向けないままきびすを返して『レイン・レイン』の方に歩き出した。ショーのクライマックスと園田さんが考えている場面はもう終わっていたのだった。というより、ステージに上げて矢じりを触らせるべき子供が客席に一人もいなかった。観客は園田さんと僕だけだったのである。
気づけば、園田さんはすでに数歩遠くに行っていた。僕は追いかけそこね、視線を空に向けた。“縄文デイ 原始の力”と白地で書かれた小さな赤い風船がステージの上空に飛んでいた。園田さんはこちらに背を向けて去りながら、今度は大声で言った。
「相手は誰だ?」
園田さんはどうしても知りたいのだった。知っている女性ではないかと勘ぐっている可能性もあった。ほんの何分か前まで大人として見守ってくれていると感じたのだが、実のところ単に猛烈な好奇心なのではないかと僕は思い、そう考えるとむしろ気持ちが軽くなって小走りに園田さんの横まで行くと、右耳に吹き込むようにささやきかけた。
「知りません」
「え?」
「園田さんの言う通り、僕は恋におちていると思います。でも相手がどんな人か、いや中身はよく知っているんです、知りあって数日でこんなにわかり会えるのかってくらいに。でも相手がどんな顔のどんな人か、名前もまるでわかりません。知らないんです。電話でしか話したことがないから」
園田さんは許しがたいことを聞いたというように目をむき、一度大きく息を吐くとさらに早足になった。僕は咎められると思い、それに全力で反駁しなければならないと考えて自分も歩を早め、園田さんの右横にぴたりとついた。左に『メリーゴラウンド』、右に『カーライド』のある子供向けゾーンを抜けて行きながら、園田さんは怒鳴り声で言った。
「面白い」
僕は答えるべき言葉を失った。園田さんは聞こえなかったと思ったのか、もう一度怒鳴った。
「面白そうな恋だ」
結果、僕は事情をあらいざらい『レイン・レイン』の操作室の中で話した。僕はその日まで、自分に何が起こっているかを他人に話すべきかどうか迷っていた。けれどすべてを話し終えたあと、打ち明けるなら園田さんしかいなかった、と思った。きっと本当は、誰かに早く言いたくてたまらなかったのだった。
お前からの相談に対して俺が言えることは、と園田さんは前置きをした。僕は相談をしたつもりなどなかったから、まったくの勘違いだった。だが、そういうずれ方こそが園田さんに恋を打ち明けることの気楽さにつながっていた。
「平凡な恋に向かえ。そのままおかしなシチュエーションを続けていても発展はないと思うぜ。だから今夜誘えよ。どうせ電話は来るんだろ? 明日会いたいと言うんだ」
「明日? どこに住んでるかもわからないのに、ですか?」
「お前が聞かないから悪いんだよ。だから相手も聞けない。地上を離れた天使みたいなお付き合いはもうやめるんだよ、徹」
園田さんは白黒のモニターを見上げてさらに言った。
「人間らしく平凡に行け」
そして目の前の操作パネルをあちこち手際よく押し、全館に強い雨を降らせた。
9-7報告者
故アピチャイ・ホンターイ(タイ)
by seikoitonovel
| 2011-12-05 15:21
| 第一小説