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5-2 参議院「惨酷区」

 振りかえれば大変なたたかいであった。
 過去に一度でも参議院全国区の選挙運動を経験した人々はいまでも言う。「郁さん、君があんな短い準備活動で当選できるなんて、どうしても考えられなかったよ」と。
 あの有名な政治評論家の俵孝太郎さんも「せいぜい30万票もとればいい方ではないかとみていたよ」と言った。専門家は一様にそうみていたのであった。私自身も長い政党本部での経験から、そのことは十分すぎるほどわかっていた。
 私は知名度ゼロの無名の新人候補者であった。同盟一ー産別の支援を受けたとはいえ、これら産別の組合員にとって、私の名前も経歴も何ひとつ知られていなかったのである。それが勝てたのだから奇跡に近い出来事だったと言える。
「惨酷区」とさえ呼ばれる参議院全国区のたたかいは、四七都道府県をまたにかけた壮大なたたかいである。壮大といえば聞こえはいいが、それは候補者になったものでなければ決して理解することのできない大変なたたかいである。
 たしかにそうだ。例えば、一県を二日間ずつ回ったとしても三ヵ月と四日を要する。北海道から遊説を開始するとして、再び東京に戻ることのできるのは三ヵ月と五日後になるのである。しかも、一県を二日間だけという日程では、主要な都市の目抜き通りを猛スピードで素通りするだけで終わってしまうのである。事実、私の選挙運動も、支援組織の職場に五分ないしは十分間程度ずつ顔を出すという猛スピードの運動であった。知名度の高い候補者ならばそれでも当選できるであろうが、私のような知名度ゼロの新人は一県を二日間ずつ回るだけではまず当選はおぼつかない。したがって新人候補者ならば少なくとも一年半か二年、現職議員でも一年間の準備活動期間が必要だというのが全国区選挙の常識なのである。
 それが私の場合は、僅か六ヶ月間の準備活動期間しかなかったのである。まさしく無暴なたたかいへの挑戦というべきであった。しかも「八〇万票」という途方もない票をめざすたたかいであった。だから立候補を決意してから選挙の終わるまで私の念頭には〝当選〟の二文字は全くなかった。私は私自身に与えられた使命にしたがって全力をつくす以外にないと思った。支援組織のひとびとの足手まといにならないように、候補者として後ろ指を指されないように、真剣に立ち向かっていこうと、ただそう心に言い続け、たたかい続けてきたのであった。
 結果は六十八万三千五百二票という票を得た。私個人で獲得し得た票はそのうち三〇〇分の一にも達しないであろう。支援産別がその威信をかけて叩き出してくれた、まさしく組織の力の勝利であった。
 短いようで長く、長いようで短かったこの異例のたたかいを振り返りながら思い出すままに書きつづってみたい。

by seikoitonovel | 2011-06-06 15:21 | 第三小説「思い出すままに」