父4-13
2011年 05月 16日
10、ようやく春を実感しながら
79年10月の総選挙の結果は大きな希望になった。
この選挙で私は長野県第四区の小沢貞孝選対に派遣された。8月の下旬から選挙の終わるまでの約40日間、一度も帰京せず連日睡眠時間4時間のきびしい戦いに耐え続けた。
それは小沢先生にとっても政治生命をかけた戦いであった。当選の次は落選、その次は当選というエレベーター選挙をやってきた小沢先生であり、72年で当選された先生は76年の選挙では落選されており、今度敗れれば引退といわれ、ご本人もそのように覚悟されているようであった。しかしそんなことになれば民社党長野県連は壊滅の危機を迎える。なんとしても勝たねばならない。
私は総選挙の度に何回となく小沢選対と関係を持った。そして不思議にも私が選対に張り付け(派遣オルグ)になった時は当選、ならなかった時は落選であった。そんな奇妙な因縁を小沢先生も知っていて“来てくれていて座っていてくれればいい”とそれとなく本部に私の派遣を要請していたようであった。当時私は千葉の加藤綾子選対に拘わり合いを持っていたが、解散の見通しが次第にあきらかになってきた8月下旬に松本に入り、10月の選挙が終わるまで選挙対策に専念したのである。
この選挙で小沢先生は7万9千票を獲得して見事第一位で返り咲いた。その上、党全体としては10議席増の36議席獲得の輝かしい戦果であった。念願の結党時の議席に限りなく近づいたのであり、私は久方ぶりに体の中から湧き上がる喜びを味わったのである。20年の冬の時代を経て、民社党にも春がめぐってきたことを実感したのであった。
しかし春といってもほんの春の入り口であり、肌寒さの残る浅春というべきであった。民社党にとってそれからがまさしく本当の勝負時である。民社党がお手本にしてきた西欧の友党、すなわち西ドイツ社民党にしてもイギリス労働党にしてもそれぞれ100年を越す歴史を持っているのであり、それに比べれば民社党はまだ中学生といったところであろう。
激しかった10月の選挙の疲れを癒しながら私はこれからの私自身の人生というか、私自身の果たすべき役割について深く思いをめぐらせた。来年は50才になるし、人生の最終コースを自ら選択しなければならないと思うのであった。そして得た結論は、党組織拡大のために裏方に徹すること、それが私に与えられた使命である、ということであった。
私もやがては表舞台でという願望を持った時代もあった。長野県では県会議員や衆議院議員候補にという話も合った。今回の選挙の前には長野県3区の候補者に内定していたG氏が突然候補者辞退してきたため、衆議院候補者選考委員長の春日先生の命を受けてG氏の説得役となったが、どうにもならず断念せざるをえなくなった。すると春日先生は“それでは伊藤が次の候補者だ。真剣に考えろ”となった。強引な話だとは思いつつも、私も無下に断るわけに行かず、親戚の人たちに集まってもらい、また地区同盟の主要メンバーにも意向を打診した。しかし大方は反対であり、私はこの話を断念して春日先生に報告した。
一方、私は77年には組織局次長として和田春生、ついで柳沢鍛造の両組織局長の下で党勢拡大に心を砕いた。74年の衆議院選、75年の参議院選を通じて党は一定の地歩を固めたが、党員数は依然として3万名前後に低迷していた。毎月の新入党者は結構な数にのぼっていたが、それと同じ程度の離党者があり結果として党員数は3万名に留まる、という状況を繰り返していた。78年には選挙はなく、79年4月には統一地方選挙が予定されていた。この時期に本腰を入れて党勢拡大を図り、それを統一地方選挙の勝利につなげたい、これが私と和田局長との一致した戦略であった。しかし今までと同じことをやっていたのでは成果は見えている。そこで党勢拡大月間を設定して、同盟各産別との個別の話し合い、総支部強化のための研修会などを行った。その内容をくわしくのべるわけにはいかないが、この試みで党勢は飛躍的に拡大した。
私はこの経過を通じて、党勢拡大への確固たる視点を持つことが出来た。これが、俺はこれからは“裏方に徹していこう”との決意になったのであった。
<伊藤幸子注
夫は総選挙、参議院選挙、四年ごとの統一地方選挙とその準備期間、一年中選挙活動に明け暮れておりました。そして国会議員選挙の時などはしばしば二ヶ月や四ヶ月くらいの出張は当たり前でした。その間、電話や手紙は一通も来ません。それでも私は政党本部に勤めているからにはそれが当然のことだと、割り切っていましたから特別なことだとは思いませんでした。今考えてみますと、少々のんびりしすぎたように思いますが>
<いとうせいこう注
このあと、父の人生は思いがけなく変化する。
そして、私自身は79年にはもう18才になっているのだった>
by seikoitonovel
| 2011-05-16 13:21
| 第三小説「思い出すままに」