父4-1
2011年 02月 01日
まず党の再建に全力投球・惨敗にめげず
民社党が最初に迎えた1960年(S35)11月の総選挙は予期せぬ惨敗であったが、私の東京都議会補欠選挙への挑戦が示しているように同志たちの闘志は健在であった。マスコミの一部には民社党の前途を悲観的にみるのもあったが、私たちは必ず立ち直ってみせると意気軒昂であった。
敗北の原因は社会党浅沼委員長が日比谷公会堂で演説中右翼青年に刺殺されるという不幸な事件によるものであって、民社党の思想・信条が国民に否定されたものではないと信じていたからであった。また民社党の結党を支持し選挙を全面支援した最大の支持団体全労はより強力な体制で民社再建を約束した。
民社党の本部には有識者の多くから激励の声が続々寄せられてきた。尾崎士郎は「私は民社党に好意を持っていました。意外に負けたので、これではいかん。本当に積極的に支持する気持ちになった」と語った。そして徳川夢声、平林たい子、唐島基智三,矢部貞治,菊田一夫、竹山道雄、佐古純一郎、蝋山政道らの学者・文化人が発記人となって「民社党を励ます会」を開いた。
とくに私たちに大きな勇気を与えてくれたのは次の菊田一夫の「民社党におくる」と題した詩であった。
庶民は政治というものを知らない
庶民は春の陽炎のなかに
いつも睡たげな眼をして
のどかに暮らしていればいいものだから……
政治が悪いとき
乱暴者が世にはびこるとき
庶民は ひょいと眼をさます
政治はどうなっているだろう
政治とは中庸の道ではないかしら
古すぎては困り
激しすぎては世の中がひっくりかえる
その中庸の道も
世につれて進んでゆく
政治は常に 世間より
一歩進んでよい加減
二歩進めば怪我人がでる
……といって
退歩すれば
支持というローラーにひきつぶされて死ぬ人も出る
民主社会党は中道の政党
中庸とは昼寝をしていることではない
政党が庶民のせっかくの特権を奪ってはならない
日本人は中庸を好む国民だ
自分個人の人生には
いつも中庸の道を選んでいる
そのくせ……
他人様を批判するときは
いつも 前か後ろか 右か左か 赤いか白いか……
それは……
自分個人の道を選ぶ道が
勇気のない卑怯さからの中庸の道だからである
自分自身に勇気がないから
他人様に 激しさ古さ 右か左かをもとめるのだろう
激しさには喝采が与えらえる
古さと頑迷には老人達の拍手がおくられる
意気地なしと言われながら
中庸の道を選ぶには
勇気がいる
民主社会党よ
日本国を
我々の国を
正しい軌道に進めるための
激しい闘いを起こしたまえ
国民は一億
ほんとうは みんな
破壊主義でない
頑迷でない
ほんとうの民主主義
新しい道が
好きなのです
by seikoitonovel
| 2011-02-01 20:53
| 第三小説「思い出すままに」