父3-5
2011年 01月 25日
<いとうせいこう注
前項を書いてから、一年以上が経ってしまった。
伯父(以前は「叔父」と誤表記していた。訂正する)はあれからすぐに亡くなった。
退院したあと、伯父は気持ちを変えていた。
親戚である私のもとにも、「俺はもう十分生きた。これ以上はもういい」という伯父の言葉が伝わってきていた。いかにも伯父らしい、短く潔い宣言から一週間もしなかったのではないか、伯父は食べなくなり、意識を遠のかせ、つまりは死の準備を始めた。私たちもそうなるだろうと諦めをつけ、微笑んだ。
2011年1月11日、高木邦雄は亡くなった。
葛飾区鎌倉町の、すなわち私が育った町の小さな斎場で私たちは伯父を送った。小さな孫たちがたくさん来ていて、伯父の額に手を触れたり、泣いたりしていた。
弔辞を読んだのは、私の父だった。
邦雄さん、あなたは私の先生でした。
そう始まる弔辞は感動的で、修飾に流されず、しかし敬意を直裁にあらわすものだったが、あとで聞いたところ原稿は残っていなかった。父は短い時間の中、紙の上で推敲し、直しの入った文をそのまま読んで、伯父の棺へと納めてしまったらしい。私はこの父の自伝に引用出来たらよかったのにと言ったのだが、父はきょとんとした顔でそうだったなと答えるばかりだった。
さて、前項に訂正がある。
私が病院を訪れたとき、伯父はベッドに腰かけていたと私は書いた。
だが本当はおまるの上に座っていたのだった。
おまるの上で伯父はびっくりしたような顔で私を見、しばらくそのままでいた。私が自分の名を言い、やがて伯父が涙と鼻水を流し始めたのも、おまるの上でだった。
私はそのことを伯父の生前書けなかった。>
by seikoitonovel
| 2011-01-25 14:58
| 第三小説「思い出すままに」