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自由 


by seikoitonovel
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父3-5


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<いとうせいこう注

 前項を書いてから、一年以上が経ってしまった。
 伯父(以前は「叔父」と誤表記していた。訂正する)はあれからすぐに亡くなった。
 退院したあと、伯父は気持ちを変えていた。
 親戚である私のもとにも、「俺はもう十分生きた。これ以上はもういい」という伯父の言葉が伝わってきていた。いかにも伯父らしい、短く潔い宣言から一週間もしなかったのではないか、伯父は食べなくなり、意識を遠のかせ、つまりは死の準備を始めた。私たちもそうなるだろうと諦めをつけ、微笑んだ。
 2011年1月11日、高木邦雄は亡くなった。
 葛飾区鎌倉町の、すなわち私が育った町の小さな斎場で私たちは伯父を送った。小さな孫たちがたくさん来ていて、伯父の額に手を触れたり、泣いたりしていた。
 弔辞を読んだのは、私の父だった。
 邦雄さん、あなたは私の先生でした。
 そう始まる弔辞は感動的で、修飾に流されず、しかし敬意を直裁にあらわすものだったが、あとで聞いたところ原稿は残っていなかった。父は短い時間の中、紙の上で推敲し、直しの入った文をそのまま読んで、伯父の棺へと納めてしまったらしい。私はこの父の自伝に引用出来たらよかったのにと言ったのだが、父はきょとんとした顔でそうだったなと答えるばかりだった。
 さて、前項に訂正がある。
 私が病院を訪れたとき、伯父はベッドに腰かけていたと私は書いた。
 だが本当はおまるの上に座っていたのだった。
 おまるの上で伯父はびっくりしたような顔で私を見、しばらくそのままでいた。私が自分の名を言い、やがて伯父が涙と鼻水を流し始めたのも、おまるの上でだった。
 私はそのことを伯父の生前書けなかった。>
 




by seikoitonovel | 2011-01-25 14:58 | 第三小説「思い出すままに」