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2009年 09月 13日
正幸誕生-1
正幸が生まれてから1カ月くらいで帰ってくると思っていたが、幸子は4月を過ぎ5月に入ったというのに帰ってこない。電話して聞くと、弘康兄からの返事は「もうすこし待て」とのこと。私もそんなに急がなくても実家でのんびりさせて置くほうがよかろうくらいに考えて、帰るのをじっと待っていた。
結局幸子と正幸が帰ってきたのは6月の初めであった。どうしてこんなに帰るのが遅くなったのか、その理由が帰ってきてから聞いて初めて分かったのであるが、実は幸子の左の乳房が乳腺炎にかかり、40度近くの熱がでて寝たままであったという。手術をして炎症は食い止めたが、1日に1回づつ医者がきて傷口に管を差し込んで膿を抜き取ったのだそうだ。管を差し込まれる時の痛さは恐怖だったという。
幸い右の乳からは母乳がでたので正幸の授乳はできたということだった。乳腺炎が快方にむかって床を上げてみると、床の下の畳が汗のため腐りかけていたという。こんな大病のことをなぜ私に知らせなかったのか、それはもっぱら弘康兄の配慮と幸子の我慢の由であった。そんなことを知らないでのんびり暮らしていた自分が恥ずかしかった。
正幸は生まれてから2カ月くらい弘康兄が風呂に入れてくれていたのであった。また弘康兄は食事の時は組んだ足の上に正幸をのせてあやしながらであったという。食事を零したり、酒を零したりして正幸の顔に傷を負わせてはいけないというわけで、正幸の顔にハンカチを掛けて食事したそうである。正幸は最初は嫌がったらしいが、そのうち慣れて静かに食事が終わるのを待っていたという。
正幸が夫婦のどちらに似ていたかといえば、どうやら私の方らしかった。弘康兄が風呂に入れるときに正幸の顔は郁さんそっくりだ、といっていたらしいからそうだろうと思う。
6月帰ってきた幸子は7月にはまた実家に帰った。正幸の汗疹がひどく可哀相で、涼しい信州で過ごした方がいいと考えたからであった。
幸子と正幸が牟礼の家に帰ってきたのは、やや涼しくなった8月の末であった。正幸はすっかり元気になっていたし、可愛さはますばかりであった。ところが11月に入って風邪を引き夜中に熱が高くなり、ぐったりしてきた。近くに病院はないし、あわててタクシーで日赤病院へ連れていった。こんな事でこの年も慌ただしく暮れた。
年があけて1月の末、正幸が突然、炬燵の端に手をかけて立ち上がった。歩き始めるのは生まれてから1年くらいからと言われていたので、この時ほど夫婦で喜んだことはなかった。
歩き始めてから3カ月ばかりがたったある日の夕方、銭湯に連れていこうと正幸の右腕を掴んだところ、急にその手に力が無くなりぶらぶらしている。といって痛がる訳でもなく、泣くのでもない。こんなことは初めてで何が起こったのか分からず、急いで近くにあった整骨院へ連れていった。
先生は顔色一つ変えず、正幸の前にキャラメルを一つ出した。正幸は右手をぶらりとしたまま、嬉しそうにそれを左手で受け取って口に入れた。先生はにっこりして「右の脱臼だ」といって、ただちに治してくれた。そしてまた一つキャラメルを出してくれた。正幸は今度は右手で受け取って嬉しそうに口に入れた。一時とんでもないことになったなと思ったが、これでほっとしたと同時に腕は簡単に脱臼するものだと言うことが分かったのである。
by seikoitonovel
| 2009-09-13 14:47
| 第三小説「思い出すままに」