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2009年 07月 18日
『BLIND』-8
例えば、21世紀の明日生まれる子供は、「子機」という存在になんの思い入れも持たずに育つはずだ。彼らは思春期に至る以前に、個人的な通話のすべてを自分専用の携帯電話で行い始めるだろうからである。
かつて子機は家族からの情報上の自立を象徴し、同時に家族からの微温的な監視をも暗示していた。つまり、「子機」はまさに家族と密接につながったメディアだったのであり、我々はその懐かしさを知る最後の世代なのに違いない。
その朝、美和もまた子機を持ち、二階の自室に上がったのである。母・壮子が買った純白の留守番電話機セットには、もともと子機1しか付属していなかった。が、長電話のためだろう、壮子は子機2も追加購入し、1を自分専用として自室に置いたのだった。したがって、美和が使用したのは子機のうち、2の方である。
美和は酵母について徹底的に学んでおくようにと、洞窟コーポレーション社長・黒岩茂助(62)から直接、厳命を受けていた。新しいパンのためには、まず新しい酵母をという先駆者的発想を、遠い目をした黒岩は濃いヒゲの下から低い声で朗々と語ったという。
感激した美和はある限りの関係書籍を図書館から借りて読み、自宅でもパン生地の発酵を何度か試すうち、前日の昼間、数種類の酵母でパンを焼く店がトーキョーにあると、買い物から帰った壮子が言い出した。商店街でかかっていたFMラジオの番組(『モーニング・デュー』)で紹介されていたのだそうだ。壮子はそらで店の名前を覚えていた。
美和は即座に、ぶ厚い電話帳から店の番号を見つけ出した。話を聞きに行くしかあるまいと美和は決意していた。誰も使ったことのない酵母でふくらんだパンについて、美和はすでに夢のような構想を、まさに発酵前のパン生地のごとく練っていたからであった。応接間のテーブルの上で、美和は9ケタの電話番号を『酵母ノート』に書き写した。このとき、右から二番目の数字を写し間違えていなければ(3であるべきところが5になっていた)、この長いレポートは生まれていない。
本当は開店時間である午前9時きっかりに、調べた番号を押すつもりだった。だが、自室の机にノートを開き、子供の頃から使っている木の椅子に座ると気がはやった。営業日か否かも心配だったと美和は証言している。だから美和は相手が出るかどうかだけをまず確かめるために、電話をかけた。インターネットが出現する以前には、こうした行動は一般的にあり得た。
相手が出た途端に切るつもりでかける電話は、当然かけ手に罪悪感を与える。03から始まる番号をプッシュしながら、美和は冷たい子機2を耳に押しつけて息を詰めた。
コールは5回だったと美和は言っている。チャッという舌打ちのような音がして、美和の心臓ははね上がった。すると耳への圧力が変わり、速度の一定でないうねりが聞こえてきた。それが音楽であり、留守番電話につながったのだとわかるまでにわずかな時間がかかった。店が休みなのかもしれないと思う以前に、その音楽に聞き覚えがあることが美和を強くとらえた。甘く翳りのあるメロディだった。確かに自分はその曲を知っていた。だが、タイトルが出てこない。そのメロディにまつわる風景が、美和には思い出せなかった。
はい、華島徹です。ただ今留守にしています。ピーッという音のあとにお名前とご用件と連絡先を吹き込んで下さい。
数秒の音楽に続くメッセージを、美和はほとんど聞き逃した。1994年3月10日、午前8時46分の通話はそのまま終わった。
園田吉郎が華島徹に譲り渡した古い留守番電話のテープには、したがって何も残らなかった。このMEISON製の初期型留守番電話KL-B200がなぜ、園田から華島に手渡されたのかはまたのちに語ることにして、我々はまずここで、美和をとらえた音楽について報告しておきたい。
華島徹によって確認されたところによれば、それは紛れもなく『just the two of us』という1980年のヒットソングであった(グローヴァー・ワシントンJRのアルバム『ワインライト』収録)。ちなみに、本曲をBGMに使うようにと華島に古いカセットテープを渡したのはやはり園田吉郎で、そのため音の速度が一定でなく、美和を迷わせたことになる。
歌詞が二人にとって大変予言的なので、一部をここに掲載しておく。
透明な雨粒が落ちていく
そして美しいことに
太陽の光がやがて
僕の心に虹を作る
時々君を思う時にも
一緒にいたい時にも
二人きり
二人きりでいればかなう
僕ら二人でいれば
砂上に楼閣を築きあげて
たった二人
君と僕
(日本語訳・佐治真澄)
by seikoitonovel
| 2009-07-18 20:57
| 第一小説