自由 


by seikoitonovel
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13


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       『BLIND』10-1


 電話口で美和は息をのんだ。
 その言葉が相手から来ないと思ったことはなかった。自分から言ってもおかしくなかった。
 それでも美和の心臓は飛び上がるように動いた。
 ついにその時だと思った。
 数秒の沈黙に徹はとまどった。言ってしまうべきではなかったと後悔し、アサリのボンゴレの話に戻る方法をとっさに探した。しかし、そんなものはどこにもなかった。
 会えないかな、という言葉が発された瞬間に二人の無邪気な遊びは終わったのかもしれなかった。責任のない場所で誰でもない人物として存在出来る長い自由時間は途切れた。
 徹の脳裏にヒビの入った二人の男女の金属の彫像が浮かんだ。それは錆びていた。だが同時に、徹の体の奥で地上の魚のように跳ね回っている感情があった。会いたいと思う心、あらがえない欲望、そして会えるという期待だった。
 会いたいの?
 と美和がようやく言った。
 甘えるような声だと徹は感じた。
 だが、美和には脅えるような音色だった。
 窮地に追いつめられたと美和は思い、その場しのぎのように口から問いを漏らしたのだった。そして、「うん」と答えられて逃げ場はもはやないと感じた。
 会えないとか、会いたくないという選択肢はなかった。自分も会いたいと思っていた。
 けれど、美和は恐れてもいた。自分を醜いと思ったことはなかったが、だからといって容姿に特別な自信があるわけでもなかった。それまで延々と話をし続け、興味の対象やユーモアや道徳観念がよく似ていると思ってきた相手に、実際の自分がどう見えるかまったく想像が出来なかった。
 落胆、という言葉が美和の頭の中を占めた。
 何か徹が言っていた。
 え?
 と美和は悲鳴のように聞いた。
 名前、教えて欲しいんだ。
 と徹は言っていた。せきを切ってあふれ出す好奇心にあらがえなかったのだった。口に出してみて改めて、二人が避けてきたことが自分たちを悲劇に近づけるのではないかと徹は予感した。
 だが、引き返すには遅過ぎた。徹は先へ進んだ。
 僕は華島徹。華やかな島に、徹底的の徹。
 その漢字を思い浮かべてみながら美和は、同時に自分は嘘をつくかどうかに迷った。仮名を使うことは、それまでの数日の間に何度か考えていた。けれど徹の素直な様子が美和にそうさせてくれなかった。ただし、当時の再現であるこの文章の中では仮の名である。
 あたしは遠野美和。
 と美和は言った。
 二人は歩み寄った。
 遠い野原に、美しい和の国の和。なんかのんびりした名前でしょ。
 美和……ちゃん。
 と徹は復唱した。
 そう。
 と美和は言い、すぐに
 徹くん。
 とつぶやいた。独り言だったと美和は言っている。
 だが、徹は何か語りかけられたと思った。
 何? 
 と徹は聞いた。
 二人の対話の調子はそこで逆にかみ合った。
 美和はうれしかった。
 徹は『美和』という響きが美和の声に合っていると思った。
 いつの間にか、二人はアサリのボンゴレが何より春にふさわしい食べ物だという話に戻った。どうやってそうなったかを二人とも覚えていない。ただ、潮干狩りの話題が持ち上がったのは確かだった。日本の子供たちは古い時代から春に遠浅の砂浜に出かけ、そこで貝を採るのだった。
 こうして、会えないかという徹の提案は宙に浮いたまま消え去りそうになった。返事は次の機会でもいいと徹は思ったが、美和が電話をかけてこなかったらとも考え、続く話題、やはり春の風物詩のひとつである菓子サクラモチの葉を食べるべきか否か、に集中出来なくなった。
 すると、サクラモチはともかく、と言ったのは美和の方であった。
 私たち、会えるのかな?
 今度は徹が息をのむ番だった。会うことに何か大きな問題があるのだろうかと徹はいぶかしみ、会えない理由を素早く探した。
 察して美和は続けた。
 会えるのかなって言うのはつまり、どこで会えるのかしらということなんだけど。
 ああ。
 と徹は安堵した。
 えっと、僕は東京の西なんだけど。
 と言ってから、徹はその先まで話すべきかわからなくなった。一方、美和はやはり間違いなくそうなのだと思った。彼女は市外局番を知っていたのだから。
 わかっていたことでありながら美和は相手がひどく遠いと感じたし、だから自分がいる場所を打ち明けられないと思った。都心まで電車を乗り継いで二時間以上かかると知ったら、徹は自分への興味を失うのではないか。
 その徹がささやくように呼びかけてきていた。
 美和ちゃん。
 うん。
 質問が当然あるわけだけど。
 うん。
 聞いていい?
 うん。
 君は?
 うん?
 君はどのへんに住んでるの?
 うん。
 声は遠くないから、まさか京都とか九州ってことはないと思うんだけど。
 うん。
 いや、京都でも福岡でもいいよ。遠距離でも。
 そこで会話は一瞬ぴたりと止まった。
 美和は賭けるように言った。
 遠距離でも?
 と。


                 10-1 金郭盛(韓国)


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by seikoitonovel | 2011-12-31 00:38 | 第一小説

12


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  件名   親愛なるカシム-さん-
  送信者  島橋百合子
  受信者  カシム・ユルマズ
  受信日時 2001年8月11日

 もうユルマズ様とは書きません。昔通り、カシムさんと呼びます。あなたの好きな「さん」付けで。
 さて、でも私はこれ以上何を書けばいいでしょう? そして、何を書くべきかわからないのに無性に何か書きたいと思うのはなぜでしょう?
 あなたのような大詩人に抽象的な美しい言葉を書き送る能力が私にはありません。だからカシムさん、具体的な思い出だけをまた思いつくままに書かせて下さい。
 あなたが祖国にお帰りになった1953年の暮れ、私は本当に寂しく思いました。あなたは気づいていなかったとお書きになっていますが、私はずいぶん積極的に感情をあらわしていたと記憶します。
 私は港で涙を流しました。鯨のような黒くて大きな客船の前で。私はあなたの腕をつかんでなかなか離さなかったはずです。十九才の私はあなたの胸の中に飛び込んでしまいたかったのです。でも、それが恥ずかしくて出来なかった。腕をつかんでいたのはあなたの帰国を止めたいのと同時に、自分の行動を抑えるためでもありました。
 あのあと、私は何通か手紙を習いたての英語で書きました。けれど、すべて出さずに机の中にしまい込んだ。今でもその手紙を私は持っています。
 文字の中にあるのは、異国の青年への憧れどころではありません。若くて未熟な私が、失ったものを悔いる悲痛な思いです。
 私はしかし三年後、父の会社に勤める男性と恋におちるのですから、青春というのはまことに気持ちのうつろいやすい季節です。私たちは一年ばかり交際をし、迷いなく結婚しました。素晴らしい伴侶でした。優しくておおらかで、ちょっと馬鹿で背の高い人でした。
 でしたとばかり書くのは、もうおわかりだろうように彼が今はいないからです。神はわずか五年で私から彼を奪いました。貿易の仕事でオランダと日本を行き来していた夫は、かの地で病にかかり、私が駆けつけるのを待たずに亡くなってしまいました。私と、まだ幼かった一人娘を置いて。
 私は夫のないまま日本の高度成長期を見続けました。父の会社はみるみる大きくなり、経済的には私にはなんの心配もありませんでした。日本は公害をまき散らしながら、けれどずんずんと一人の巨人が歩くような音を立てて豊かさへの道を突き進んでいきました。
 七十年代の熱い政治的な期間を、私は四十過ぎの落ち着いた身の上で過ごし、ただ街頭デモには何回か参加をしました。娘のことだけを考える私は日本がよい国であることを願い、そのためならどんなものとも戦おうと思ってきましたし、そうしてきたつもりです。その後の八十年代も九十年代も。
 そしてカシムさん、私もすでに七十才に近いのですよ。あなたはご自分ばかり年をとったようにおっしゃいますが、私も同じ地球で同じ時代を生きてきたのです。
 ですから私にも孫がいます。樫という名前で、それはあなたも当然御存知の、常緑で美しい葉を茂らせる頼もしいオークのことです。名前の通り、樫は立派な青年となり、今は海外ボランティアに出ています。
 カシムさん、もうおわかりでしょう? 私はあなたの名前の一部を孫に与えたのです。まるであなたがザムバックという名をお孫さんにつけ、それがトルコの言葉で百合をあらわすように。
 覚えていらっしゃるでしょうか、あなたが神戸で私に下さった百合の形のペンダントを。あの時、私はザムバックという言葉を教えていただきました。あのペンダントを、私は今の今まで宝物として大切にしてきたのですよ。
 だからメールを読んで、とても不思議な偶然だと思ったのです。いや、偶然ではなくて、これは人生も最後の方に至った人間に特有の、若き日々への強い追憶から来ているのかもしれない、と。少なくとも、確かに私はあなたを思い出して孫の名前をつけたのですから。
 もちろん私は夫を愛していたし、その思いに変りはありません。けれども初恋をした頃の自分を大事にしたいとも考えています。あの神戸、あの時代、あのあなた、あの私を。
 カシムさん、あなたが国際的な詩人の会合で来月ニューヨークにいらっしゃるのを私は知りました。俳人の古い知りあいが自分の欠席をたまたま私の目の前で残念がったことによって。
 もしもあなたが、今度は私たち双方にとっての異国の地でゆっくりランチなどおとりになるつもりがあれば、どうぞ教えて下さい。なぜならニューヨークには今、私の樫が仕事で滞在しているからです。私はいずれ、孫に会いに行こうと思っていたところでした。
 ばったり空港で会うという驚くべき偶然、そのあとすぐにあなたの渡米を知るという偶然、そこに自分の孫がいるという偶然を、私は運命のような必然としてひととき味わえれば、と夢みています。ただし、あなたはお忙しい身の上、無理にとは申しません。
 けれどカシムさん、以下は脅し文句のようになりますが、私たちにだって死期はあるのですよ。悔いることをより少なく余生を送りたいと考える私は、だからこそあなたにこんなメールを書いたのです。
 私もずいぶん長く書いてしまいました。拙い英語で齟齬が生じないか、前回同様不安です。
 
                草々。

                  百合子より。

            
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by seikoitonovel | 2011-12-15 13:43 | 第一小説

11-3


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       『BLIND』9-7

 あらはばきランドの特設ステージ前は閑散としていた。
 1994年3月19日。
 ステージでは社長・水沢傳左衛門の肝いり企画、『縄文デイ』が開かれていた。ちょうど3年前の3月から始まったものだった。
 一ヶ月の期間中、ランド内のイベントスペースでは連日、日本の縄文時代、人々はこう生きていただろうという推測を大胆にショーアップし、ニセモノの毛皮を着た男女が5人ほどでテーマ曲“狩り、狩り、狩り”を始めとした3曲を歌い踊り、土器を叩くことでリズムを刻み、イノシシ役の男性をステージ上で追いつめて仕留め、様々な声で雄叫びを上げる他、高度な文明があった証として土をこねて食器を作る所作をし、火を起こす真似事などするのだったが、ステージに呼び込まれた来場客の子供たちはたいてい泣くか、つまらなそうな顔で遠くを見た。縄文時代の本物の矢じりを持たせてもらうという特典があったものの、それを喜ぶ子供は3年間で一人もいなかった。
 けれど園田さんはその『縄文デイ』のイベントを高く評価し、事実出来る限り『レイン・レイン』の作業の合間にショーを見に行ったし、特にイノシシが捕まるタイミングでは必ず奇声をあげたが、数回付き合わされた僕にはそれがネイティブアメリカンの行動に見えて仕方なかった。
 その日も僕は昼食後、『縄文デイ』のセカンドステージに誘われた。園田さんは食堂で「話もあるし」と言った。僕は話ならたくさんある、と思った。ステージ前に行くと、輪になった男3人が女2人の周囲でとびはねていた。音楽はハウリングを起こして耳に痛かった。
 まだ寒い日中で、日が当たるのはステージだけで他は暗かった。園田さんはズボンのポケットに手を入れたまま、背を丸めて演し物を見ていた。僕はその隣に立っていた。縄文人(男)の一人がリズムに合わせて槍を突き上げ、もう片方の拳で胸を叩いて自らの筋肉を誇示し始めたのと同時に、園田さんは少しだけ僕の側に顔を向けて言った。
「徹、なんかあったのか?」
「はい?」
 と僕は反射的に聞き直した。
「最近」
 とだけ園田さんは付け加えた。僕は何を言われているか確信を持ちながらも、もう一方で気づかれているはずがないと思っていた。
 園田さんはそのまま黙り、ステージを注視するかに見えた。自分が持ちかけた話を早くも忘れてしまったのだろうか。あっけにとられて園田さんを見た。すると、園田さんの頭の上に白い靄がただよっていた。知っているのだ、と僕はなぜか観念した。
「おかしいですか、近頃の僕は?」
 と諦念の中で僕は言った。白状しているに近いニュアンスだった。園田さんはイノシシ役の男性が舞台袖から出てくるのをそっけなく確かめてから答えた。
「おかしいね」
 僕は空を仰ぎ見た。園田さんの言葉を待とうと思った。実際、少しして園田さんは続けた。
「そもそも鼻歌が頻繁だよ、徹。どれも影のあるラブソングのかけらだ。しじゅうお前の唇から聞こえてくる。いい曲ばっかりな。だからって悲しい恋をしてるわけじゃないと俺は思う。そもそも恋が憂愁を湛えたものだということくらい、特に初期症状がそうだというくらいは長らく恋人のいない俺にだってわかる。フォーッ!」
 最後はイノシシを仕留めた縄文人への賛美になっていたけれど、園田さんは僕の状況をずばりと言い当てていた。数日の間盗聴されていたのではないか、と思うくらいだった。
「相手は?」
 園田さんは調子を変えずにそう言うと、僕には一切目を向けないままきびすを返して『レイン・レイン』の方に歩き出した。ショーのクライマックスと園田さんが考えている場面はもう終わっていたのだった。というより、ステージに上げて矢じりを触らせるべき子供が客席に一人もいなかった。観客は園田さんと僕だけだったのである。
 気づけば、園田さんはすでに数歩遠くに行っていた。僕は追いかけそこね、視線を空に向けた。“縄文デイ 原始の力”と白地で書かれた小さな赤い風船がステージの上空に飛んでいた。園田さんはこちらに背を向けて去りながら、今度は大声で言った。
「相手は誰だ?」
 園田さんはどうしても知りたいのだった。知っている女性ではないかと勘ぐっている可能性もあった。ほんの何分か前まで大人として見守ってくれていると感じたのだが、実のところ単に猛烈な好奇心なのではないかと僕は思い、そう考えるとむしろ気持ちが軽くなって小走りに園田さんの横まで行くと、右耳に吹き込むようにささやきかけた。
「知りません」
「え?」
「園田さんの言う通り、僕は恋におちていると思います。でも相手がどんな人か、いや中身はよく知っているんです、知りあって数日でこんなにわかり会えるのかってくらいに。でも相手がどんな顔のどんな人か、名前もまるでわかりません。知らないんです。電話でしか話したことがないから」
 園田さんは許しがたいことを聞いたというように目をむき、一度大きく息を吐くとさらに早足になった。僕は咎められると思い、それに全力で反駁しなければならないと考えて自分も歩を早め、園田さんの右横にぴたりとついた。左に『メリーゴラウンド』、右に『カーライド』のある子供向けゾーンを抜けて行きながら、園田さんは怒鳴り声で言った。
「面白い」
 僕は答えるべき言葉を失った。園田さんは聞こえなかったと思ったのか、もう一度怒鳴った。
「面白そうな恋だ」
 結果、僕は事情をあらいざらい『レイン・レイン』の操作室の中で話した。僕はその日まで、自分に何が起こっているかを他人に話すべきかどうか迷っていた。けれどすべてを話し終えたあと、打ち明けるなら園田さんしかいなかった、と思った。きっと本当は、誰かに早く言いたくてたまらなかったのだった。
 お前からの相談に対して俺が言えることは、と園田さんは前置きをした。僕は相談をしたつもりなどなかったから、まったくの勘違いだった。だが、そういうずれ方こそが園田さんに恋を打ち明けることの気楽さにつながっていた。
「平凡な恋に向かえ。そのままおかしなシチュエーションを続けていても発展はないと思うぜ。だから今夜誘えよ。どうせ電話は来るんだろ? 明日会いたいと言うんだ」
「明日? どこに住んでるかもわからないのに、ですか?」
「お前が聞かないから悪いんだよ。だから相手も聞けない。地上を離れた天使みたいなお付き合いはもうやめるんだよ、徹」
 園田さんは白黒のモニターを見上げてさらに言った。
「人間らしく平凡に行け」
 そして目の前の操作パネルをあちこち手際よく押し、全館に強い雨を降らせた。

          9-7報告者 
             故アピチャイ・ホンターイ(タイ)


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by seikoitonovel | 2011-12-05 15:21 | 第一小説