自由 


by seikoitonovel
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父3-4


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葛飾に家を建てるまで

 その頃の親は子供に”パパ、ママ”と呼ばせるのが普通であったが、私のような田舎ものでがさつな男としてはそう呼ばれるのになぜか抵抗があった。そこで「お父さん、お母さん」と呼ばせることとした。幸子も大賛成であった。
 正幸は言葉を覚えるのも早く、絵本が大好きであった。買ってきてあたえるとむさぼるようにして何度も読み返していた。ある日、三鷹の本屋に連れていって絵本を買ってやると、本屋を出た途端に道路に座り込んで読み始めた。そんなところで読まなくても家へ帰ってゆっくり読めばいいじゃないかといっても、読み始めたらテコでも動かないようなところがあった。これには親としては嬉しく誇らしいような思いであった。
 正幸が3才になってから、私たちは葛飾の邦雄兄の庭をかりて小さな家を建てた。
 私はかねてから早く自分の家を持ちたいと考えていた。そうかといって薄給の身で家を建てられるだけの資金など貯まるはずもない。手持ちの現金はゼロ。親から資金を借りる訳にもいかない。
 ところがある日、邦雄兄から「俺の家の庭を貸してやるから」という願ってもない話があった。邦雄兄は葛飾の鎌倉町に家を持っていた。庭は20坪ほどだったが、私はこの話に飛び付いた。早速父に連絡したところ「土台は新宿にいる知り合いに頼んでやる。それができたら、直(なお。母の実家の甥)に建ててくれるよう頼んでやろう」との事であった。それなら当面の資金は必要ないし、最後は父が費用を出してくれるものと勝手に理解して、父のいう通りに事を運んでいった。
 直ちゃんはある日、刻んだ建築材を車に積んで諏訪からやってきて、2日で家の骨組みを建てて帰っていった。そのあとは鎌倉町の大工に内装建築を頼んだ。内装建築は意外に時間がかかり2カ月くらい要したが、とにかく小さいながらもまずは住めそうな2階建ての家ができた。
 ところがである。そろそろ引っ越しにかかろうかと考え始めていた頃、直ちゃんから手紙で、20数万円の建築費用を貰いにいくので「○○日」に新宿駅に持ってきて欲しいとの催促が来た。父がなんとかしてくれるだろうと思っていた私はこの手紙に狼狽した。あわてて資金集めに入ったが、この時に一番の助けになったのが、電話債券であった。そのころ電話債券がなければ電話を引く事はできなかった。政党書記が電話を持たない訳にはいかず、西尾先生の秘書的仕事があるのでという理由で電話債券を手に入れた。その債券はたしか15万円くらいだったと思う。非常に高かった記憶がある。
 この債券を売って、給料の前借りをし、20数万円をなんとか工面して私はこの難関を乗り切ったのであった。


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by seikoitonovel | 2009-10-18 21:15 | 第三小説「思い出すままに」

7-1


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     『BLIND』9-1

 その夜まで、ここで語るべき話はない。
 華島徹は“ランド”閉園後、園田吉郎につきあって駅前にある唯一の飲食屋で生ビールを二杯飲み、幾つかのつまみとトンカツを食べ、最後に茶漬けをすすった。それは園田が経費として提出したレシートからもわかる。
 小雨の中、なお頭部を白く煙らせて上機嫌でいた園田とホーム上で反対方向に別れ、東亀沢駅に着いたのが当時のダイヤによると午後9時21分。コーポ萱松の二階には午後9時40分までにたどり着いていたことになる。
 傘を閉じ、木目調のドアを開けようとすると、暗い部屋から静かに茜色の光が漏れ出してきて徹はひどく驚いたと言っている。しかし、それは脚色された思い出だろう。実際は単純な赤色の光であったはずで、つまり通話を示すランプだった。徹はベルの音が苦手で音量を最小にしていた。
 靴も脱がずに部屋にあがり、受話器を取ったが、すでに電話は切れていた。ツーツーツーという音が薄闇の中に響いた。留守番電話の件数を示す小窓に5と、やはり赤く表示されていた。それほど多くのメッセージがあったのは初めてで、実家に何かあったのではないかと徹は不安になった。雨で濡れた靴をはいたまま、徹はデジタル数字が放つ光を頼りに再生ボタンを押した。
  

 
 
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by seikoitonovel | 2009-10-04 21:50 | 第一小説