自由 


by seikoitonovel
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<   2009年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

第二小説1-4


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 小さな私はまだ中学生であったろう、と今ではずいぶん確かにわかる。なぜなら同級生の足にしがみつき、ふりほどかれまいとする私の頭はいがぐり坊主だったはずだからだ。
 高校生の私は髪を伸ばした。もしその私が足にしがみついたなら、同級生は真っ先に髪をつかみ、私をひきはがそうとしただろう。私はいずれ顎を上げざるを得なくなる。上げた顎に上腕部をねじ込まれれば、もう私はすっぽんではいられなかった。
 中学生という不安定な時期の中に、同級生も私も固定されていた。私たちは両方いがぐり坊主で、日の陰る廊下の奥にいた。
 私は部屋中のすべての物を紙でラッピングしないといられない子供でもよかった。不潔を何よりも嫌い、形状がばらつくことを嫌い、物の色を自分の好みで完全に支配したくて、私は過去のノート類を黄緑色の紙に包み、思い出のみやげの数々をベージュ色の厚紙で箱状に包み、本はすべて色違いの紙に包んで本棚に並べ、椅子の背をピンク色の紙で包み、蛍光灯のスイッチの紐の垂れた先端を小さな白い紙で四角く包み、ティッシュの箱を青くざらついた紙でさらに覆って使いにくくし、あれやこれやと開けては包み、包んでは開けることに一日の労力を使い果たしていてもよかった。
 同級生もまた、自分で大事だと感じることを、必ず三回前転をしないと始められない中学生でもよかった。それをしないと胸がふさがってきて呼吸がしづらくなり、やがて母親が死んでしまうばかりか、世界がみるみる焼け焦げて白く消滅することがはっきりわかるので、人前で恥ずかしいのを耐えて同級生は床を三回、転がる。デパートで、親戚の家の客間で、自転車屋の店先で。誰も自分が世界を救っていることに気づいてはくれないのだけれど、だからといって迫りくる破滅を見過ごしにすれば、自分は何より失いたくないものを失ってしまう。だから同級生は勇敢に三回、転がる。そういう中学生でもよかった。
 あるいは私は数十年ほどを経て佐渡で一人前の刀鍛冶になり、毎日真っ赤に燃える鉄をハンマーで打って結晶をより細密に仕立て、若い弟子を二人取って作業を見せて習わせ、息を深く整えることこそが刀鍛冶の仕事の最も肝要な事柄だと喝破して朝六時に起きては座禅を組み、ついに清冽な湧き水のごとき剣を一本作り上げてもよかったし、同級生は同じ年月を親の都合で渡ったボリビアで暮してローマカソリックの神父の経験を積み、ある新月の晩に光の啓示を受けたのちに異教的な信仰を持って教団を形成するとみるみる南米各地に信者を増やして弾圧され、たった一冊の、のちに信者にとって聖なる書とされるノートを残した他はまったくの行方知れずで人生を終わったのでもよかった。
 だが、私は私でしかなかった。同級生も同級生でしかなかった。私たちは両方いがぐり坊主で、日の陰る廊下の奥にいた。


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by seikoitonovel | 2009-03-28 22:58 | 第二小説

第一小説3-3


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3-3

          『BLIND』-3

 だが、華島の父によると、職を得る前までの華島は違った。幼い頃から、何事に対しても集中出来ずにぼんやりしているというのが華島要(徹の父)の息子観で、長年小学校の国語教諭を務めている立場からも、その観察に間違いはないと要は確信していた。
 むしろ執着という醜いものを故意に身につけるぐらいが妥当ではないかと、徹が小学校高学年になった1981年5月17日午後、父親は息子の部屋にあったありとあらゆる物(家具以外)を物置に隠そうとした。帰宅した徹が号泣してくれることを要は熱望した。作業にとりかかって五分ほどで耳慣れぬ物音をいぶかしんだ妻・俊子に見つかり、その激しい抗議によって目論見は中止されたものの、要はそれくらいショッキングな“事件”が徹の人生に起こるべきだ、と真剣に考えていた。
 俊子(旧姓・幅田)は要のかつての教え子だった。石川県金沢市立味ケ岡小学校で俊子が六年生の時、要は担任を務めたのである。私立中学に提出する内申書に「幅田さんの正義感はクラス一」と要は書いた。その事実を俊子が知ったのは、十年後、地元の短大を卒業して司書の資格を取り、親戚のつてを頼って公立図書館に勤めてからのことだった。授業の資料を集めに来た華島要を、俊子はすぐに認識した。だが、話しかけてみると、要は俊子をすぐには思い出さなかった。
 ほら、理科実験部の、と俊子は誘い水を与えた。
 高桑さん?と要は言った。
 違います、ええと、交換留学生のルイーズさんを一ヶ月間、家まで送り迎えしていた……。
 あ、和泉さん。
 いえ、和泉さんじゃありません。
 侮蔑されたような気持になった俊子の、半ばうるみかかった目の端で、一人の初老の女性がつまずいた。若い男が椅子に浅く座って足を机とは正反対の方向に伸ばしていた。その男の右足に、女性の左足がぶつかったのだった。黄色い装丁のドイツ語の本を大事そうに抱えた白髪の女性は軽く頭を下げた。園芸雑誌を開いていた男は舌打ちをした。
 途端に、俊子は俊敏な野生動物のように小さく飛び上がり、大股で五歩ほど行って若い男の背後に立った。そこから先は書くまでもないだろう。
 幅田さん、もう彼も謝っていることですし、と華島要は数分後、ささやき声で俊子に話しかけたのである。

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by seikoitonovel | 2009-03-27 21:33 | 第一小説

第一小説3-2


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3-2

         『BLIND』-2


 コーポ萱松203号室から東亀沢駅までは大人の足で歩いて15分ほど。そこから急行で七つ進めば、目的地「あらはばきランド」駅である。したがって、華島が出勤にかける時間は多く見積もっても45分で済んだ。
 70年代後半に出来た大型遊園地「あらはばきランド」には、当時、23個のアトラクションが存在した、と記録されている。大観覧車、ふたつの大人用ジェットコースター(ひとつは室内型)とひとつの子供用ジェットコースター、垂直落下するゴンドラ、メインキャラクターあらはばきちゃんの赤い人形が運転士を務める三両の小さな汽車、白馬だらけのメリーゴーランド、各種の錯覚を利用したいわゆるビックリハウス、昆虫(主にカブトムシ)を模した椅子がついた空中ブランコなど、ほとんどが王道と言えるアトラクションの中、唯一「レイン・レイン」が異彩を放っていたというのがもっぱらの評判で、それがまさに華島の担当だった。
「レイン・レイン」は虹色に塗られたドームで、入場者は全員透明なビニール傘と、これまた透明な合羽を渡されて中に入った。アトラクション内には雨が降っており、それが奥へ奥へと歩いていくうちに激しさを増した。日本的な梅雨から大陸的な豪雨、ロンドンのしとしと雨とアラスカのみぞれ、ついには熱帯雨林の耳をつんざくような雷までを体験し終えれば、入場者は晴れ上がる空(疑似)の下、出口へと導かれる。
 こんな独創的なアトラクションは世界に類を見ないと評価する者と、雨の日に入った時のつまらなさを強調する者、そもそも冬には館内が寒過ぎるという主に高齢者の指摘や、逆に夏の自然な涼しさを言う者など、「レイン・レイン」には常に毀誉褒貶があった。
 華島はと言えば、そのどちらでもなかったと我々は聞いている。地方の大学を出て「あらはばきランド」に就職をした華島は、与えられた仕事をとにかく丁寧に覚えた。好き嫌いを仕事に持ち込むべきではない、というのが華島の考えだった。
 研修期間中、人事課に連れられてディズニーランドを視察したおりにも、同期五人が各種アトラクションに興じている間、華島だけがしばらくの間、スタッフのあとをつけ続けた。ゴミ発見の秘訣が知りたかったのだそうだ。それは華島の同期にとって、華島という人間を最もよく示すエピソードらしく、全員で会う機会があるごとにその話を華島にした。
 
 
 

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by seikoitonovel | 2009-03-23 21:23 | 第一小説

読み方の一例など1



読み方の一例など1


#2009/3/1から、この連載は始まりました(まずは第一、数日後に第二が)。
 その時点に遡って読んでいただけたら幸いですが、それで順序が正しいかどうか、あるべき姿なのかどうかは私にもわかりません。
 なお、小説が終わるまで少なくとも数年はかかると予想されます。長い時間ですね。でも、終わったらあっけないのかも。いや、終われるかどうか。
#また、4/9から掲載が始まった『思い出すままに 自叙伝にかえて』は、私の父・伊藤郁男に依頼して書いてもらった作品です。

#2009/3/19から、空けていた行間を詰めました。
 思いの外はやく、連載小説空間の拡大を呼びかけることになったからで、実際以下のサイトが開いています。
http://case-k.com/itosan/

第一小説(bcck版)
第二小説(bcck版)

第一小説×クズ写真(bcck版)

 などなど。
 もしも、行間を空けて読みたい人がいれば、どうぞ好きな形にしてアップしてください。
 私は私の書き方でまいります。

#音楽をつけたい方がいれば音楽を是非!
 挿し絵をつけたい方がいれば挿し絵を是非!
 各国語への翻訳なども同時進行していただけたら、かなり面白いことになると思っています。
 各サイト、得手勝手に横に横に拡大していただいてなんの問題もない……どころか、実に望ましいのですが、とりあえずリンクも貼りたいのでアドレスを御一報ください。


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by seikoitonovel | 2009-03-19 22:23 | 読み方の一例

第二小説1-3

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 早生まれの私はいつも小さかった。
 制服を着ている限り、私は必ず列の先頭か、前から二番目に立っていた。それより後ろに、私は存在したことがない。
 3月下旬に生まれたので、例えば4月生まれとは一年近く差がつくことになる。子供時代の私にとって、この一年は半分永遠みたいなものであった。
 小さな私は少し胸を突かれただけで吹き飛ぶように後方に弾かれた。背中を突かれれば前にのめったし、はがいじめにされれば動けなくなった。
 何度も思い出されるのは、濃い灰色のロッカー群で、私はそのロッカーにしたたか背を打つのである。誰かに胸を押されたに違いなかった。小さな私は、半ば変形しかけたロッカーの扉にほとんどめり込むようになる。
 私はその、後方へとはたらく大きな力に逆らうことが出来ない。記憶の中でさえも。
 私は幾度も宙を飛び、ロッカーの薄い扉で肩甲骨を打った。私の頭はがくんと揺れ、ガラクタをひっくり返すような音が背後から耳に響いた。
 今、同級生の足にしがみついているのも、この小さな私である。青黒い制服を着て、私を振り回そうとする力に精いっぱい抵抗し、だがしがみついていることしか出来ないのは、早生まれの私である。
 私をこうした小ささの中に閉じこめていた、半分永遠のような一年はいつどこに消えてしまったのか。気づいた時には私の背丈は170センチ近くになり、むしろ周囲が小さく見えていた。思い返せば、大学に入ったあたりから学年と年齢は別々のものになり始めていたのである。
 その変化に取り紛れて、私の一年、追っても追っても追いつきようがなかった年月の絶対的な差が私に無断で消去された。閏年式に、私の半分永遠は時の計算の裏側に隠し去られてしまった。
 おかげで、同級生の足にしがみつく私は、いまだすっぽんのように同じ姿勢を続けている。前後の時間とのつながりを持たなくなった本シーンは、ゆえに私に帰って来続けるのではないか。
 私は逃れられないと思っていた。同級生からの毎日続く力の行使から逃れられず、自分の小ささから逃れられないと思っていた。
 私はその自分に呼びかけたいのだが、小さな私に聞く耳はあるだろうか。
 
 

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by seikoitonovel | 2009-03-19 22:01 | 第二小説

第二小説1-2

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 私は同級生の片足にしがみついている。私を振り払おうとする片足は強く動く。私の背中や後頭部には、拳が打ちつけられたかもしれない。
 同じように相手の片足にしがみついた者たちの影を私は思う。筆頭が『金色夜叉』の鴫沢宮だろう。尾崎紅葉の代表作の中で、間貫一を裏切るこの女は何度となく貫一にすがりつく。私の子供時代には、この貫一/お宮の不可解な愁嘆場がよくテレビでパロディにされていた。
 お宮は資産家の富山と結婚する流れに逆らわない。だから恋人である貫一は、熱海の海岸でお宮を責める。「一生を通して僕は今月今夜を忘れん」とまでイジケるのだから、すがりつくべきはむしろ貫一なのではないか。子供の私は白黒テレビの中の“二人連れ”を、いつもそういう奇異な思いで観ていた。
 イジイジした敗北者がなぜか威張っている。いずれ資産家の妻になる人生の勝利者が、その敗北者の“脚に縋付(すがりつ)き”、振りちぎられて膝頭を血に染めたりしている。
 これはまことにおかしな話だ。奇怪なイジケ構造である。
 だが、やがて私もまた、同級生に蹴られるのを避けるためにその片足にしがみつき、じっと離さずにいたことで勝利感を得るのだ。この場合、私は敗北者として貫一であり、しかし勝利することにおいてお宮である。
 さらにさかのぼって近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』もまた、片足にしがみつく者の話だ。しがみつくのは醤油屋の手代、徳兵衛。遊女お初との仲を裂かれ、勘当され、親友に裏切られて体面を潰され、徳兵衛は死ぬ以外ないと考える。
 色茶屋・天満屋の縁の下に隠れる徳兵衛は、お初女郎の着物の裾から出た白い足に頬を寄せたまま、裏切り者の親友が自分を勝手放題に侮辱しているのをひそかに聞く。そして、しがみついたその足をついに首にあてたとき、お初は徳兵衛が首吊り心中をはっきりと示しているのを知るのである。
 人形浄瑠璃においては通常、女の人形に足はない。だから、お初の足は特別で異様で艶めかしい。ただし、甲に頬ずりするような型は昔はなかったと聞いた気がする。故吉田玉男の工夫だという話が、私の記憶にはある。
 ともかく、ここでは男が女の片足をつかんで離さない。『金色夜叉』とは反対のパターンである。しかも、徳兵衛は足蹴にされない。
 ただ、主人公のイジケた気持ちだけは変わらないのである。貫一がイジケていたのと同様、徳兵衛もイジけている。親友に大事な金を貸し、返してもらえず、それどころか詐欺だと言われ、公衆の面前で殴られるのだから。
 徳兵衛は鮮やかな反駁とは無縁である。証文をたてに論理的に切り返す術がない。無策無能だとさえ言える。ゆえに粘りもなく、死ぬしかないと一足飛びの結論にはまり込む。
 近松は実際の心中事件をわずか一ヶ月後に舞台化したわけで、徳兵衛が死ぬことは絶対であった。あ、この手があった!などと思いつかれても物語が不鮮明になる。近松はトンチ話を書きたかったわけではないのだ。
 だから、徳兵衛はお初の片足にしがみつく他なかった。あたかも近松が遣う人形のように、徳兵衛は自由な道を塞がれていた。イジケが高まる中、徳兵衛は死だけを思いつくように仕向けられていた。あ、この死があった!ということになる。
 すっぽんと心の中で自称した私にだって、当時、その人形じみた思いつきがあったのではないか。



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by seikoitonovel | 2009-03-16 00:07 | 第二小説

第一小説3-1

 
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3-1

         『BLIND』

 まず、一人の男がいた。
 男は不思議な夕焼けの夢を見た、と言っている。
 行ったこともない南の島の、長く白い砂浜に男は素足で立っていた。
 濃いオレンジに溶けた太陽はすでに左手の岬を覆う黒い山の向こうに沈みきっており、残光だけが薄く残る山頂付近以外、空は藍色に染まっていた。
 やがて、夜の始まりを告げるかのように、背後からコーランがエコーたっぷりに鳴り響いた。そこがイスラム教圏内であることを、男は知っていたと思った。
 次の瞬間、立ちくらみのように視界が狭まった。不安に襲われて男は何度かまばたきをした、と言う。すると、暗くなっていくと思われたあたり一面が、みるみる茜色に変わっていくのがわかって、男の胸はつまった。
 たちまち、あらゆるものが茜色になった。見渡す限りの空が茜色であり、吸う空気も吐く空気も茜色だった。砂がどこまでも茜色だったし、波のしぶきも、ビーチを走る馬の汗ばんだ皮膚も茜色だった。
 そうだ、ほんとうの夕焼けとはこういうものだと男は思った。すっかり終わったかに見えたあと、夕焼けは復活のようにやって来て、太陽のない世界を茜色に染め変えてしまう。
 圧倒的な幸福感があった。茜色の光が、波動になって体中の細胞を震わせている気がした。茜色は男の体を自由に出入りした。
 1994年3月10日早朝、目が覚めたあとも同じ幸福感がまったく途切れなかった、と華島徹(仮名)は言っている。それほど影響力のある夢を、華島はかつて見たことがなかったそうだ。
 前夜からの雨がサッシを細かく叩く音は、確かに波が引く音に少し似ていただろう、と我々は想像する。したがって、華島の住むアパートの二階はいまだ夢の中の海に近かったのかもしれない。
 予感といえば予感でした、とは華島徹の言葉だが、むろんこれは事態が深まったあとでそう思っただけであり、恋愛はこうしてすべての物事を、遠い過去に至るまで「当事者二人」の運命の中に整列させてやまない。
 以後も、この思考は華島を強く捉えるし、我々はそれを逐一報告するだろう。
 なぜなら、無意味な事象の偶然的積み重ねに過ぎない人生を、一気に意味づけ、一気に色鮮やかにするのはわずかに恋愛と宗教くらいのものであり、後者の場合が“すべての物事を、遠い過去に至るまで「神と自分」の運命の中に整列させてやまない”のである以上、我々は恋愛研究において神を扱うも同然だからである。そして、御存知のように、神は細部に宿るのだ。 
 ともかく、1994年3月10日木曜日、華島徹は帰宅後に起こる予期せぬ出来事には実際はまったく盲目なまま、顔を洗い歯を磨き背広に着替え、しかし夢の残照とも言える茜色の幸福感にはなお満たされつつ、入社一年目の職場「あらはばきランド」へと向かったのだった。


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by seikoitonovel | 2009-03-11 20:56 | 第一小説

第二小説1-1

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第一章

 俺はすっぽんだ、喰らいついたら絶対離さない。
 まったく同じこの言葉が何年かに一度、冬の池の中でかすかな泥をまきあげて動く魚影のように私の記憶の底をぬるりとよぎってきた。
 冬の池の中でかすかな泥をまきあげて動く魚影、というのはまんざら比喩でもない。
 昨年末、私は八十才近くなった両親と共に父の郷里を訪れ、とうに亡くなっている父方の祖父の墓参りをする流れになった。墓は上諏訪からタクシーで五分ほど坂を上がっていった小さな寺の奥にあり、私はずいぶん前にそこを訪ねたことがあるのをおぼろげに思い出しながら、両親の後ろを歩いた。傘をさすまでもない微妙な雨が降っていた。
 乱立する墓石の中で、父はまったく迷わなかった。祖父の墓の前まで来ると、母が、おそらく何度もそうしたことがあるに違いない様子で周囲の墓石について父に聞いた。父はそれぞれの墓をほとんど見ずに、それは誰々の叔父だと言い、従姉妹の誰々ちゃんの墓だと答えながら新聞紙を丸め、マッチで火をつけた。母はおっとりと混乱し、幾つかの同じ墓について同じ質問をした。父はいらだちもせずに同じ返答を繰り返し、小さな火事めいた炎の中に線香をひと束差し入れた。
 墓参りのあと、無人の寺の汚れた縁側に私は両親と座った。目の前に池があり、腐った蓮の葉が浮いていた。大人の背丈ほどの松が水面ぎりぎりに枝を伸ばしており、その先に壊れた蜘蛛の巣がぶら下がっていた。季節外れのトンボの死骸が池の端で光っているのが見えた。微妙な雨が微妙な水紋を作っていた。
 縁側で休憩を取ろうとしたのは父だった。父はなんの感慨も持っていないような表情で膝に手を置き、空を見たり池を見たりした。母も同じだった。風景とはとてもいいがたいものを目の前にして、私はなぜ両親が黙ってそこに座っているのかまったく理解出来なかった。
 やがて、私の視界の端に、ぬるりと動くものが現れた。目をやると池の底で泥が巻いていた。泥の奥に私は黒い魚影を認めた。鯉だ、と思った。祖父の法事で出た鯉のあらいが自分には臭いような気がして食べられなかったことを、急激に私は思い出した。まさにその寺の座敷で、鯉はふるまわれていたのだった。寺は当時、もっと清潔だった。
 と、その記憶に重なって、ぬるりと、としか言えない感覚で、あの言葉が来た。
 俺はすっぽんだ、喰らいついたら絶対離さない。
 冬の鯉の身体のゆらぎが、事実、私の脳の奥からすっぽんの頭を飛び出させたのである。あたかも両親は、それを待って静かに縁側に座っていたかのようだった。
 この言葉が私の中学時代、もしくは高校時代のいじめの体験から生まれたことは確かだから、私はこうしたすっぽんの出現を好まない。いったん現れたらそれが再び泥で覆われてこの世から姿を消すように、これまで私は対処してきたのだ。
 今、その言葉をめぐって自分が右往左往し始めた理由を、私はまだまったく知らない。
 

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by seikoitonovel | 2009-03-05 23:53 | 第二小説

第一小説2

 
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 2


 『ヤマナシ・レポート』
              カシム・ユルマズ 
              (トルコ芸術音楽大学)
               2001年7月30日付け
            「イスタンブール読書新聞」より
        
 人生は旅である、と私は言いたくない。言ったところで何になるわけでもない常套句の、これこそ筆頭に挙げられるだろう。
 人生に旅券は必要ない。旅行鞄がなぞらえられるような対象は、特に人生には見当たらない。人生に終わりは絶対あるが、旅が必ず終わるとは限らない。
 人生は人生である。旅はただ旅である。だからこそ、両者は互いを豊かにするのだ。
 私は今、日本に来ている。訪れるのはこれで二度目だ。
 一度目は、第二次世界大戦の終戦から六年ほど経ってのことであった。私は大学院に籍を置きながら、神戸で二年間、父の仕事を手伝った。私はわずか二十才に過ぎなかった。自分の詩はまだ数えるほどしかなかった。
 思えば、当時の私は何も見ていなかった。何も聴いていなかった。日本は日本でなく、ただの異国だった。憧れは個別性の外にあった。
 今、ヤマナシという日本列島の中央部近くにいて、私は世界十五カ国の学者・有識者と論議を重ねている。前世紀を最もよく象徴する恋愛とはどのようなものであるかについて話し合いながら、我々はあたかもその恋に直接触れるかのように物語の輪郭をなぞり、恋を舌の上にのせて吟味し、血管の中に流し込んで共に生きている。
 イギリスの作家、アーロン・エメットが採集してきた“自分が蟻であると思い込んでいる男と、自分が枯れた樹木だと思い込んでいる女の恋愛”は我々を驚愕させた。
 サウジアラビアの財閥系研究機関で人間の行動パターンを数量分析しているハレド・オハイフは、“別れても別れても必ず三日以内に偶然出会ってしまう二人の奇跡の六十年間”という詳細なレポートを実験映像付きで提出し、パリ第8大学きっての無神論者(そう、エミールのことだ!)にも神の存在を再考させた。
 このように充実した時間を過ごしながら、私はひとつの確かな考えに支配される時の、あの希有な満足感を得つつある。
 人生が旅だとは言えない。
 だが、人生は恋愛のようだとは言える。
 どちらも時に熱狂的で、現実とはうらはらで、二度と訪れないチャンスの糸で縫い合わされているのだ。
 再びの日本滞在で、私はそれを知った。
 もう遅い、とあなたは言うだろうか?
 たった一人しかいないあなたは。
 私の読者よ。
 

 
 

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by seikoitonovel | 2009-03-04 00:17 | 第一小説

第一小説1

 
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 1


 ただいま過分な御紹介にあずかりました、デュラジア大学人間科学研究所・佐治真澄でございます。
 むしろジョルダーノ先生の長年にわたる御研究こそが我々恋愛学者の導きの星であり、この盛大なうちに幕を閉じようとしております『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』の締めくくりにふさわしいと考えます。けれども、最高賞を受賞した国の代表が最終報告を担当するという、かねてからの取り決めでございます。どうか御静聴ください。
 さて、涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない、とは御存知のごとく大文豪ゲーテの言葉であります。苦渋と励ましに満ちたこの言葉の主こそ、これまた言うまでもなく恋多き人物でございました。
 であるならば、皆さん、先に挙げた格言を我々はこう言い換えてよいのではないでしょうか? 恋愛とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない、と。
 ……拍手、おそれいります。事実我々は、会期初日の7月12日夜、山梨県民文化ホール内で行われましたレセプションパーティの席上、トルコ芸術音楽大学名誉教授・ユルマズ博士から、会議の名前自体を『20世紀を振り返る十五カ国会議』と短く変えてしかるべきではないか、との御意見もいただいたのです。
 それでは若干ぼんやりとした会議にならないかと危惧を示した我々に対して、ユルマズ博士が悠揚迫らず答えられたお言葉は大変印象的でありました。
 恋愛を振り返ることは、そのまま世界を振り返ることだ。
 ユルマズ博士はそうおっしゃったのです。
 会議の名こそ変わりませんでしたが、博士、まさしく我々は7日間をかけて、20世紀を総括したのであります。20世紀の歴史を、人間を、言葉を、仕草を、そして何より性そのものを。
 博士にどうぞ大きな拍手を……博士、お座り下さい。博士。
 それでは、お配りしたレジュメにしたがって、きわめて簡潔に、今回『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』において、最高賞を獲得した日本の恋愛事例をおさらいしたいと思います。
 まず、一人の男がおりました。
 
 

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by seikoitonovel | 2009-03-01 00:40 | 第一小説