自由 


by seikoitonovel
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カテゴリ:第二小説( 8 )

2-3a


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 銀座線上野駅から地上に出、たくさんの勤め人と歩調を合わせて信号を渡り、ついにアメ横へ入らんとした私は右手の上野の山をぼんやりと視界の端に入れ、おかげでいつものように後藤明生の『挟み撃ち』の名シーンを思い出したのである。
 私はほぼいつでも、駅から山側に渡ったところのいまだに二階が工事中の「聚楽」のあたり、似顔絵師が数人いる大階段や京成上野駅の入り口を見ると、『挟み撃ち』の世界に迷い入った気になる。
 主人公・赤木はまさに上野駅前の映画館周辺をうろつき、かつて伴淳・アチャコの二等兵物語の宣伝のために、自分が戦後ゲートルを巻いてバイト仲間と列を作り、模擬的な捧げ銃をしたことを想起する。その想起は小説内の現在とも、戦時中の兄とのエピソードとも自在に行き来しあうから、こちらは多重露光したフィルムを見ているような錯覚におちいる。今読み返しても、時間軸の移動の技巧は他作家を圧倒して凄まじく、しかし小説自体はあくまでものほほんとしている。
 ちなみに、私が行方も知れぬまま書いているこの文章もまた、後藤明生の作品、特に『挟み撃ち』をそもそも文体、制作精神の最高峰としているのであった。その小説らしくなさ、文と文の間の隙の大きさ、平気で他人の作品に重心を移してしまう自由さ、それらの要素すべてを含むゆえの真の小説らしさ。
 だが、書けば書くほど私には後藤明生の天才的な境地がひしひしと実感され、ひるがえって自分が書くもののある種の小説らしさ、文と文の間の隙の大きさへの恐れ、平気で他人の作品に重心を移してしまう際に無駄な力が入ってしまう不自由さ、それらの要素すべてを含むゆえの真の小説らしさの不在に絶望する以外なくなる。
 ああ、もっと自由を、もっと高度な、しかしこわばりのない技術を、私の小説に!
 こういうことを考えながらふらふら朝のアメ横を歩いていた私には、当然誰も声をかけなかった。トロ箱を店の前に出したり、道に水をまいたりしているばかりだ。むしろ、この道で小説のことなんか考えているやつは邪魔だとばかりに、私は無視すべき存在として扱われ、むしろこちらが注意深く歩かなければ準備中の品物にぶつかりそうな具合だった。もしも太い黒縁メガネの人が、山と積まれたサキイカの袋の向こうから、おい、ゴーゴリの『外套』を仔細に読んでから出直せとダミ声で言ってくれたなら、私はどれほど心強かっただろう。
 ただ、そんな風に後藤明生の霊が爽やかな初夏の朝のアメ横に現れたとしても、私は『外套』を仔細になど読まないだろう。負ける勝負はするべきではないし、後藤明生を遠い目標として目指す者はいい加減が身上でなければならない。



 
 
 
 
 
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by seikoitonovel | 2009-08-25 13:55 | 第二小説

2-2


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 そのまま数日が過ぎた。友人と私との間で姿をくらましたすっぽんもそうだが、読者諸氏と私の前に見え隠れしていたすっぽんそれ自体も行方知れずのままであった。
 おかげで私は『 スッポン-習性と新しい養殖法』も熟読したし(二時間ほどで)、『ワインライト』を何回も聴いた。そして、あちこちですっぽんの話を持ちかけられた。
 広東語で「水魚」といえばすっぽんのことだそうである。知人の香港人女性Jさんが、私に会うなり「Iさんは『水魚』という小説を書いてるそうですね」と、ちょっとたどたどしく言ったのである。問題の箇所の発音は“ソイユィ”。Jさんはあくまでも広東語でそこを発音したかったらしい。
「ソイ……ユ、ですか?」
「はい、その小説、internetでやってる」
「あ……確かにネットでは連載してますが」
「そう、それ。『ソイユィ』。昔の自分の話」
 私は別の自分がこの世に、特になぜか上海あたりにいるような錯覚におちいり、混乱した。
 Jさんのある種のいたずら心から、題名が勝手に翻訳されていたのだと理解したあとも、自分が自分から剥離していく感じが消えなかった。『水魚』という話を書いている自分が確かにいる、という実感がむしろ強まった。
 たたしマンダリン(北京語)では水魚の意味がちかいますよ、ともJさんは濁音が抜けがちの日本語と人懐っこい笑顔で付け足した。例えば「水魚の交わり」は『三国志』に出てくる有名な逸話で、それは固い友情を示す。中国本土でも日本でも、水魚を水と魚に分けて考え、分けた上で分け得ないものとする。
 だが、その考えを広東語圏には持ち込めない。厚い友情を示すつもりで香港人に「水魚の交わり」を宣言すれば、周囲の喧騒が一気にやむだろう。人気俳優を迎えてノワール映画ロケ中の早朝の灣仔(ワンチャイ)でも、屋台が並び始めた午後の旺角(モンコック)でも、若きデザイナー集団が新事務所を構えてパーティをしている夕方の銅鑼灣(トンローワン)でも、酒と音楽が作り出す乱痴気が最高潮に達した夜中の蘭桂坊(ランカイフォン)でも、一瞬の完全な静寂があたりを支配する。水魚の交わり? 水魚の? 
 それはつまり、すっぽん同士の交際を指すのである。我もすっぽん、汝もすっぽん。我ら脊椎動物亜門・爬虫網・カメ目。そう宣言することの意味は奈辺にありや、ということになる。そうですよね、Jさん?
 まあ、そうですしね、とJさんは私の想像のアンバランスな広がりを多少警戒しながら微妙な訂正をした。広東語で「水魚」と言った場合、それは主に“吸いつかれる側”を指すらしいのであった。ことに金銭にまつわってその比喩はあり、人がすっぽんの生き血を吸って精力をつけようとするかのように、例えばヒモは「水魚」を金づるにして生きていく。喰らいついたら絶対離さないのはすっぽんではなく、逆に広東語圏のすっぽんは喰らいつかれ、離してもらえないのだ。
 そこで私が即座に思い出したのが『ワインライト』の聴きどころ、「just the two of us」だったといえば、少々分裂的だろうか。グローバー・ワシントンJRはこのアルバムにビル・ウィザースの名曲を取り入れ、歌わせ、彼を世界的な存在にした。
 吃音を持つビル・ウィザースの、歌えば甘く厚ぼったく滑らかな声。しばらく話が脱線することが予想されるが、言葉と歌が異なる次元に属していることの、これは大変な証左なのではないか。
 言葉が連続的に歌になれば、あるいは近頃私が考えているように歌こそが先にあって、やがてそれが言葉になったのだと仮定すれば、しかしこの吃音の問題を解決出来ない。語ると吃音が生じ、歌うと生じないという現象から類推するに、言葉と歌の間に何か決定的な違いがあると考える以外にないからだ。私にちかしいある人間も吃音という障害を持っているが、彼女に聞くと“しゃべることと歌うことでは、呼吸が根本的に違う”と言う。だから、歌えば彼女も吃音にはならない。
 声を統御するある種の弁を持つ生き物は、この地球上でクジラと鳥と人間のみだそうです。それがどんな弁か聞き忘れたが、先日食事を共にしたベテラン演出家がそう言ったのを思い出す。吃音はその弁に何か関係がないか。クジラは歌うが語らない。鳥もしかり。歌から言葉に至ったとき、機能的に別次元の事件が起こった。そこに吃音が関係ないか。
 突然だが、クリスタルの恋人たち、という。「just the two of us」の日本題である。サビの歌詞を私が訳すならこうなる。
 二人きり/二人きりでいればかなう/僕ら二人でいれば/砂上に楼閣を築きあげて/たった二人/君と僕
 二人しかいない世界の、この幸福感。そして、本当は決して実現しない愛を歌っているのであろう切なさ。しかし、どちらかが水魚であったとしたらどうか。執拗に関係を癒着させるのが僕、もしくは君であったのだとしたら。
 上野にすっぽん売り場がある、と教えてくれたのは地下鉄銀座線の浅草行き先頭車両に乗っていた青年であった。黒いダテ眼鏡をかけた痩身の青年は、ずいぶん長くこちらを気にしていたのだが、やがて意を決したように立ち上がり(大きな紙を切り抜いて作った人形が急に糸で吊られたような動きだった)、向かいの席に座っていた私に覆いかぶさるようになって、Iさんですよね?と聞いてきたのである。
 ええまあ、そうですがと目をそらして答えると、もしよかったら二駅戻ってみてくださいと青年は言った。上野にすっぽん売り場がありますから、と。私たちはすでに上野を過ぎ、田原町という駅まで来ていた。青年が秘密めかした低い声で手短かに説明するビル自体は、私もよく知っていた。あんな場所にすっぽん売り場などあったろうか。私の好奇心はおおいにくすぐられた。
 しかしさすがに、ああそうですかと即座に電車を降りるわけにもいかなかった。メンツというか、まず若者がなぜそのような忠告をしたのかがわからなかった。もし彼がこの小説の読者であったとして(それ以外考えられないのだが)、私がすっぽん売り場を見るべきだと考える彼の思考が謎であった。その謎の思考に軽々しく従うことには抵抗があった。そもそも私はすっぽん見たさで小説を書いているわけではなかった。
 ビルに向かったのは、翌朝早くであった。


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by seikoitonovel | 2009-06-13 15:57 | 第二小説

すっぽん2-1


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第二章


 しかしそれにしても、すっぽんとは何であろうか。いや、ここまで私はさかんにすっぽんすっぽんと連呼してきたわけだけれども、本当にそれが「喰らいついたら絶対離さない」動物であるか、私は唐突に疑問を持ったのである。
 もしも「喰らいついても、わりに離す」とか、「すぐさま離す」とか、そもそも「喰らいつかない」というような実態があれば、私10は何を糧にして理不尽に耐えていたのかということになる。
 実はこの長い文章を書き始める直前、つまり『すっぽん』という題名を思いついた日の午後(2009年2月末のことであった)、私は一度だけ、出先に近かった青山ブックセンター本店に駆け込んで、すっぽんに関する書籍を探してみたはみたのである。
 今となってはおかしな話だが、私は天井からぶら下がっている白い板(哲学とか、美術とか、日本文学とかの分類がしてある)に目をこらし、「すっぽん」というコーナーはどこかと、棚の間を小走りになった。そんなコーナーがあるはずもないことに気づいたのは、店の奥の壁まで到達し、振り返って舌打ちをした瞬間である。したがって、チッという舌打ちは「すっぽんコーナー」のなさを呪うと同時に、自分の愚かさを鋭く叱責するものとなった。ちなみに、青山ブックセンター本店には「爬虫類」のコーナー自体なかった。
 だからといって他の手段で猛然と調べたわけでもない。私は以来、すっぽんについて何も知らないまま、書き進んでいるのである。今あわててAMAZONに行き、「すっぽん」で書籍を検索してみたら、「もしかして:にっぽん」と出た。もしかしても何も、かなりのあてずっぽうと言わざるを得ない。推測にも適度な範疇というものがあるだろう。
 そして、行き当たったのが『 スッポン-習性と新しい養殖法』(農山漁村文化協会)という名著のムード濃い書物で、私は早速注文をしたのだが、残念ながら当然、本日ご紹介するわけにはいかない。余談になるけれども、同時に注文した品はグローヴァー・ワシントンJRの懐かしい名盤『ワインライト』(1980年に出たメロウなフュージョン)だから、注文票を受け取った係の人は相手が都会派か農村派か、まったくわからないだろう。ただなんにせよ、『スッポン-習性と新しい養殖法』が82年刊で、『ワインライト』とほぼ同時期の作品であることだけはここに書き記しておきたい。それは世界の複雑さと奥行きを如実に示している。
 さて果たして、すっぽんは「喰らいついたら絶対離さない」のかどうか。二週間ほど前、かなり物知りな友人の家に遊びに行って酒を飲んでいたらやはりその話になり、「雷が鳴っても離さないって言うよね」と友人が言い出した。私もその決まり文句は知っていたので黙ってうなずくと、友人はそのままの勢いで「だけど、そもそも雷が鳴ると離すって前提、変だよね」と言い、一秒ほど考えて「雷はよほどの力を持ってるって前提でしょう」と続け、話柄は雷の方へ雷の方へと傾いていって、じきすっぽんは行方不明になった。
 

 

 
  
 
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by seikoitonovel | 2009-05-20 20:00 | 第二小説

すっぽん1-5


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 私の中で、それはすでに灰青色の、触れれば冷たい彫像である。足元の小さな金箔塗りのパネルには『すっぽん 1974』と黒く荒々しく刻まれている。
 私を解放しようとして書けば書くほど、私はこうして重く揺るがぬ存在となっていく。私は記憶の底に固着し、輪郭ごと浮き上がって剥がれ、引き伸ばされ、否定しようのない偉大さにまで膨れ上がって重量を増す。私は悪循環の中にいる。
 解放されるべき中学生の私を私1とし、悪循環の中にいる今の私を私2とすれば、私2こそが私1を時間のどん詰まりに追い込み、太らせてそこから出られなくしているのだ。では、私2は私1を忘れてしまえばよいのだろうか。
 私2はそうは思わない。記憶からの緊急避難をしたところで、いずれにしろそれはいつかぬるりと魚影のごとく動くからである。完全に忘れることは不可能なのだ。そして、過去を変えることも絶対に不可能なのである以上、私2は私2で可能性のどん詰まりに追い込まれている。私1によって。すでに。 
 私1が私2にしがみついているのか、私2が私1の足をつかんで離さないのか。しかも困ったことに、どちらもすっぽんであることには変わりない。これはまさに泥仕合だ。
 ちなみに、私1、私2というイメージしにくい分類で現在、少なからぬ読者の混乱を招いていると思う。ここはひとつ、中学生の私を私13とし、今の私を私48にしてみたらどうだろう。いや、それでは年齢表示みたいで面白くない。私は私を更新して連なってきたのだから、私10と私152くらいが適正ではないか。
 祖先たるダニエル1と、未来のダニエル25が語りを進める奇怪な長編があったけれども(ミシェル・ウェルベック『ある島の可能性』)、こちらは私10と私152で互いの足を奪い合っている。あまり格好のいい話ではない。
 ただ、私152は経験を経た私であり、いかに悪循環の中にあっても、かつてのようにじっと耐えているつもりはない。どこかに事態の突破口はないかと目をこらしながら、しかしどうもしばらく動けそうもないという予測を、私10の脇や腰をこちょこちょくすぐることで伝えるだろう。
 今のところ、それが私152から私10への能う限りの、渾身のメッセージだ。
 そのくすぐりが。
 

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by seikoitonovel | 2009-04-13 13:03 | 第二小説

第二小説1-4


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 小さな私はまだ中学生であったろう、と今ではずいぶん確かにわかる。なぜなら同級生の足にしがみつき、ふりほどかれまいとする私の頭はいがぐり坊主だったはずだからだ。
 高校生の私は髪を伸ばした。もしその私が足にしがみついたなら、同級生は真っ先に髪をつかみ、私をひきはがそうとしただろう。私はいずれ顎を上げざるを得なくなる。上げた顎に上腕部をねじ込まれれば、もう私はすっぽんではいられなかった。
 中学生という不安定な時期の中に、同級生も私も固定されていた。私たちは両方いがぐり坊主で、日の陰る廊下の奥にいた。
 私は部屋中のすべての物を紙でラッピングしないといられない子供でもよかった。不潔を何よりも嫌い、形状がばらつくことを嫌い、物の色を自分の好みで完全に支配したくて、私は過去のノート類を黄緑色の紙に包み、思い出のみやげの数々をベージュ色の厚紙で箱状に包み、本はすべて色違いの紙に包んで本棚に並べ、椅子の背をピンク色の紙で包み、蛍光灯のスイッチの紐の垂れた先端を小さな白い紙で四角く包み、ティッシュの箱を青くざらついた紙でさらに覆って使いにくくし、あれやこれやと開けては包み、包んでは開けることに一日の労力を使い果たしていてもよかった。
 同級生もまた、自分で大事だと感じることを、必ず三回前転をしないと始められない中学生でもよかった。それをしないと胸がふさがってきて呼吸がしづらくなり、やがて母親が死んでしまうばかりか、世界がみるみる焼け焦げて白く消滅することがはっきりわかるので、人前で恥ずかしいのを耐えて同級生は床を三回、転がる。デパートで、親戚の家の客間で、自転車屋の店先で。誰も自分が世界を救っていることに気づいてはくれないのだけれど、だからといって迫りくる破滅を見過ごしにすれば、自分は何より失いたくないものを失ってしまう。だから同級生は勇敢に三回、転がる。そういう中学生でもよかった。
 あるいは私は数十年ほどを経て佐渡で一人前の刀鍛冶になり、毎日真っ赤に燃える鉄をハンマーで打って結晶をより細密に仕立て、若い弟子を二人取って作業を見せて習わせ、息を深く整えることこそが刀鍛冶の仕事の最も肝要な事柄だと喝破して朝六時に起きては座禅を組み、ついに清冽な湧き水のごとき剣を一本作り上げてもよかったし、同級生は同じ年月を親の都合で渡ったボリビアで暮してローマカソリックの神父の経験を積み、ある新月の晩に光の啓示を受けたのちに異教的な信仰を持って教団を形成するとみるみる南米各地に信者を増やして弾圧され、たった一冊の、のちに信者にとって聖なる書とされるノートを残した他はまったくの行方知れずで人生を終わったのでもよかった。
 だが、私は私でしかなかった。同級生も同級生でしかなかった。私たちは両方いがぐり坊主で、日の陰る廊下の奥にいた。


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by seikoitonovel | 2009-03-28 22:58 | 第二小説

第二小説1-3

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 早生まれの私はいつも小さかった。
 制服を着ている限り、私は必ず列の先頭か、前から二番目に立っていた。それより後ろに、私は存在したことがない。
 3月下旬に生まれたので、例えば4月生まれとは一年近く差がつくことになる。子供時代の私にとって、この一年は半分永遠みたいなものであった。
 小さな私は少し胸を突かれただけで吹き飛ぶように後方に弾かれた。背中を突かれれば前にのめったし、はがいじめにされれば動けなくなった。
 何度も思い出されるのは、濃い灰色のロッカー群で、私はそのロッカーにしたたか背を打つのである。誰かに胸を押されたに違いなかった。小さな私は、半ば変形しかけたロッカーの扉にほとんどめり込むようになる。
 私はその、後方へとはたらく大きな力に逆らうことが出来ない。記憶の中でさえも。
 私は幾度も宙を飛び、ロッカーの薄い扉で肩甲骨を打った。私の頭はがくんと揺れ、ガラクタをひっくり返すような音が背後から耳に響いた。
 今、同級生の足にしがみついているのも、この小さな私である。青黒い制服を着て、私を振り回そうとする力に精いっぱい抵抗し、だがしがみついていることしか出来ないのは、早生まれの私である。
 私をこうした小ささの中に閉じこめていた、半分永遠のような一年はいつどこに消えてしまったのか。気づいた時には私の背丈は170センチ近くになり、むしろ周囲が小さく見えていた。思い返せば、大学に入ったあたりから学年と年齢は別々のものになり始めていたのである。
 その変化に取り紛れて、私の一年、追っても追っても追いつきようがなかった年月の絶対的な差が私に無断で消去された。閏年式に、私の半分永遠は時の計算の裏側に隠し去られてしまった。
 おかげで、同級生の足にしがみつく私は、いまだすっぽんのように同じ姿勢を続けている。前後の時間とのつながりを持たなくなった本シーンは、ゆえに私に帰って来続けるのではないか。
 私は逃れられないと思っていた。同級生からの毎日続く力の行使から逃れられず、自分の小ささから逃れられないと思っていた。
 私はその自分に呼びかけたいのだが、小さな私に聞く耳はあるだろうか。
 
 

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by seikoitonovel | 2009-03-19 22:01 | 第二小説

第二小説1-2

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 私は同級生の片足にしがみついている。私を振り払おうとする片足は強く動く。私の背中や後頭部には、拳が打ちつけられたかもしれない。
 同じように相手の片足にしがみついた者たちの影を私は思う。筆頭が『金色夜叉』の鴫沢宮だろう。尾崎紅葉の代表作の中で、間貫一を裏切るこの女は何度となく貫一にすがりつく。私の子供時代には、この貫一/お宮の不可解な愁嘆場がよくテレビでパロディにされていた。
 お宮は資産家の富山と結婚する流れに逆らわない。だから恋人である貫一は、熱海の海岸でお宮を責める。「一生を通して僕は今月今夜を忘れん」とまでイジケるのだから、すがりつくべきはむしろ貫一なのではないか。子供の私は白黒テレビの中の“二人連れ”を、いつもそういう奇異な思いで観ていた。
 イジイジした敗北者がなぜか威張っている。いずれ資産家の妻になる人生の勝利者が、その敗北者の“脚に縋付(すがりつ)き”、振りちぎられて膝頭を血に染めたりしている。
 これはまことにおかしな話だ。奇怪なイジケ構造である。
 だが、やがて私もまた、同級生に蹴られるのを避けるためにその片足にしがみつき、じっと離さずにいたことで勝利感を得るのだ。この場合、私は敗北者として貫一であり、しかし勝利することにおいてお宮である。
 さらにさかのぼって近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』もまた、片足にしがみつく者の話だ。しがみつくのは醤油屋の手代、徳兵衛。遊女お初との仲を裂かれ、勘当され、親友に裏切られて体面を潰され、徳兵衛は死ぬ以外ないと考える。
 色茶屋・天満屋の縁の下に隠れる徳兵衛は、お初女郎の着物の裾から出た白い足に頬を寄せたまま、裏切り者の親友が自分を勝手放題に侮辱しているのをひそかに聞く。そして、しがみついたその足をついに首にあてたとき、お初は徳兵衛が首吊り心中をはっきりと示しているのを知るのである。
 人形浄瑠璃においては通常、女の人形に足はない。だから、お初の足は特別で異様で艶めかしい。ただし、甲に頬ずりするような型は昔はなかったと聞いた気がする。故吉田玉男の工夫だという話が、私の記憶にはある。
 ともかく、ここでは男が女の片足をつかんで離さない。『金色夜叉』とは反対のパターンである。しかも、徳兵衛は足蹴にされない。
 ただ、主人公のイジケた気持ちだけは変わらないのである。貫一がイジケていたのと同様、徳兵衛もイジけている。親友に大事な金を貸し、返してもらえず、それどころか詐欺だと言われ、公衆の面前で殴られるのだから。
 徳兵衛は鮮やかな反駁とは無縁である。証文をたてに論理的に切り返す術がない。無策無能だとさえ言える。ゆえに粘りもなく、死ぬしかないと一足飛びの結論にはまり込む。
 近松は実際の心中事件をわずか一ヶ月後に舞台化したわけで、徳兵衛が死ぬことは絶対であった。あ、この手があった!などと思いつかれても物語が不鮮明になる。近松はトンチ話を書きたかったわけではないのだ。
 だから、徳兵衛はお初の片足にしがみつく他なかった。あたかも近松が遣う人形のように、徳兵衛は自由な道を塞がれていた。イジケが高まる中、徳兵衛は死だけを思いつくように仕向けられていた。あ、この死があった!ということになる。
 すっぽんと心の中で自称した私にだって、当時、その人形じみた思いつきがあったのではないか。



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by seikoitonovel | 2009-03-16 00:07 | 第二小説

第二小説1-1

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第一章

 俺はすっぽんだ、喰らいついたら絶対離さない。
 まったく同じこの言葉が何年かに一度、冬の池の中でかすかな泥をまきあげて動く魚影のように私の記憶の底をぬるりとよぎってきた。
 冬の池の中でかすかな泥をまきあげて動く魚影、というのはまんざら比喩でもない。
 昨年末、私は八十才近くなった両親と共に父の郷里を訪れ、とうに亡くなっている父方の祖父の墓参りをする流れになった。墓は上諏訪からタクシーで五分ほど坂を上がっていった小さな寺の奥にあり、私はずいぶん前にそこを訪ねたことがあるのをおぼろげに思い出しながら、両親の後ろを歩いた。傘をさすまでもない微妙な雨が降っていた。
 乱立する墓石の中で、父はまったく迷わなかった。祖父の墓の前まで来ると、母が、おそらく何度もそうしたことがあるに違いない様子で周囲の墓石について父に聞いた。父はそれぞれの墓をほとんど見ずに、それは誰々の叔父だと言い、従姉妹の誰々ちゃんの墓だと答えながら新聞紙を丸め、マッチで火をつけた。母はおっとりと混乱し、幾つかの同じ墓について同じ質問をした。父はいらだちもせずに同じ返答を繰り返し、小さな火事めいた炎の中に線香をひと束差し入れた。
 墓参りのあと、無人の寺の汚れた縁側に私は両親と座った。目の前に池があり、腐った蓮の葉が浮いていた。大人の背丈ほどの松が水面ぎりぎりに枝を伸ばしており、その先に壊れた蜘蛛の巣がぶら下がっていた。季節外れのトンボの死骸が池の端で光っているのが見えた。微妙な雨が微妙な水紋を作っていた。
 縁側で休憩を取ろうとしたのは父だった。父はなんの感慨も持っていないような表情で膝に手を置き、空を見たり池を見たりした。母も同じだった。風景とはとてもいいがたいものを目の前にして、私はなぜ両親が黙ってそこに座っているのかまったく理解出来なかった。
 やがて、私の視界の端に、ぬるりと動くものが現れた。目をやると池の底で泥が巻いていた。泥の奥に私は黒い魚影を認めた。鯉だ、と思った。祖父の法事で出た鯉のあらいが自分には臭いような気がして食べられなかったことを、急激に私は思い出した。まさにその寺の座敷で、鯉はふるまわれていたのだった。寺は当時、もっと清潔だった。
 と、その記憶に重なって、ぬるりと、としか言えない感覚で、あの言葉が来た。
 俺はすっぽんだ、喰らいついたら絶対離さない。
 冬の鯉の身体のゆらぎが、事実、私の脳の奥からすっぽんの頭を飛び出させたのである。あたかも両親は、それを待って静かに縁側に座っていたかのようだった。
 この言葉が私の中学時代、もしくは高校時代のいじめの体験から生まれたことは確かだから、私はこうしたすっぽんの出現を好まない。いったん現れたらそれが再び泥で覆われてこの世から姿を消すように、これまで私は対処してきたのだ。
 今、その言葉をめぐって自分が右往左往し始めた理由を、私はまだまったく知らない。
 

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by seikoitonovel | 2009-03-05 23:53 | 第二小説