自由 


by seikoitonovel
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カテゴリ:第一小説( 27 )

7-3-2


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  『BLIND』9-3-2

 もごもごと口の中で何かつぶやいている園田さんについて歩き、ブロックすべてに特に異常がないことを確認し終えた僕は、作業連絡ノートをつけに操作室へと移動した園田さんとは別に、最下層地下二階のどんづまりにある熱帯雨林の部屋『サンダーフォレスト』へ戻った。
 疑似池がいくつもつながる水辺の白い靄の奥にアマゾンツノガエルが生きている、という噂があった。ゲストが自分で世話しきれなくなった数匹を放してしまったのだ、と言われていた。噂には、小型のワニがいるというものもあった。「あらはばきランド」本体としては、「レイン・レイン」が水族館ではない以上、そんな生物たちが存在していてはならなかった。
 そして確かに、『サンダーフォレスト』にワニはいなかった。ただ、小さな水棲生物の方は、張りぼての岩やプラスチック製のシダやツタのからまる疑似池の中にいた。それを発見したのも、アマゾンツノガエルだと同定したのも、池の中にエサとしてメダカを放したのも園田さんだった。僕を含むスタッフの何人かはそれを知っていて、本部の人間がたまに検査に来る折などは、BGMを大きめにした。疑似環境音の中にはカエルや鳥の声が雷雨の音に混じっていた。
 園田さんはその朝、カエルたちの食欲不振をしきりと心配していた。近頃メダカが思うほど減らないとつぶやいたし、そもそもアマゾンツノガエルの姿を見ないと首をひねった。それが園田さんの独り言のほとんどを占めていた。
 僕はかわりに見つけてやろうと思った。機械が稼働し始めた施設内は基本的に暗く、うっそうと茂るかに見える疑似植物の葉をかきわけて進まねばならなかった。頻繁に雷が光ったが、むしろそれが目をくらませた。生温かい雨はひっきりなしに頭上の植物から頭に垂れた。ちなみに、「レイン・レイン」のパンフレットには『サンダーフォレスト』の宣伝文として、“落ちる雨音はサンバのリズム”と書かれていたが、むしろそれは律動のない日本の五月雨の音に近い、と今レポートを書く者としては思う。
 それはともかく僕は最奥の疑似池まで行き、水面を仔細に見た。カエルが休めるように蓮の葉が何枚もしつらえられていた。したがってそこだけがアマゾンというよりもアジア風になっていた。あたりにはプラスチックで出来た毒々しい色のカエルやトカゲが目立った。本物がいなかった。
 ザーザーと雨は鳴り、あちらこちらでチョロチョロと水流を作っていた。水辺は絶えず揺れた。僕は寄せる小さな波をぼんやり見た。生き物らしい動きがあれば、すぐにそちらに焦点を合わせようと思っていた。無数の水紋が繰り返し広がった。はおった合羽にも水滴が落ち、雷鳴の中でパタパタと響き続けた。やがて音は寄り合わさって意識の奥にしりぞき、僕は奇妙な集中状態に入った。
 かわりに前夜の留守電の、僕自身の声に耳を傾ける誰かのかすかな息遣いが記憶から引き出された。それはひそやかで高い音の領域にあり、喉と口腔の狭さを暗示していた。女の人だ、と僕はすでに気づいていたことを確信した。ひょっとすると小さな女の子かもしれない。助けを呼ぶように受話器を握りしめ耳に当て、テープから流れる声を聞いているか弱い存在を僕は感じた。数十秒後、そのかすかな息の音が、『サンダーフォレスト』全体に共鳴した。 
 結局、僕はアマゾンツノガエルを見つけられないまま、「レイン・レイン」のエントランスに向かった。朝礼はその黒塗りの壁の前、電光掲示板が小さな赤い電球の数で各ブロックの雨量を示している場所で行われることになっていた。
 スタッフ、キャスト総勢十一人の前で園田さんは話をし、また政治家の名前を言った。何かが変化しつつある、いや変化したと言った。みんなが適当に聞き流す中、派手なメイクの女子大生でバイトに入ったばかりの間下さんだけが、なんで国会の会期中に議員は逮捕されないのかとか、なんで園田さんはその話を今したのかとか聞いた。間下さんはすでに“なんでちゃん”というあだ名で呼ばれていて、彼女の配属以来、朝礼は少し長めになっていた。
 こうしていつも通りの一日が始まった。違うのはあの音だけだった。のどかな朝礼の間にも、年齢層の幅広いゲストを迎える間にも、あだ名といえば“封筒”と呼ばれている四角い背中で長身の佐々森と昼食にカレーライスを二杯ずつ食べている音の中にも、午後に再び『サンダーフォレスト』の疑似池に忍び込んでカエルの骨らしき真っ白な物を見つけてしまった瞬間にも、伸びないゲスト数を本部で揶揄されながらタイムカードを押した夕方にも、園田さんの誘いを断って少し早足で駅に向かい、家に帰って夕食をカップラーメンですませたあとも、あの音は僕を貫いていた。



 9-3-1、9-3-2 報告 ルイ・カエターノ・シウバ(ブラジル)
 
 
 
 
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by seikoitonovel | 2011-05-03 14:40 | 第一小説

7-3-1


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『BLIND』9-3-1

 翌日も同じ銀色の電車に乗り、同じ駅で降りて「あらはばきランド」まで歩いた。
 僕は気に入っていた黄色いベルトのスウォッチを何度も確認したし、運営本部の上方に掛けられた丸い時計とタイムカードを見比べた。いつもより少し早いペースで歩いたはずなのに、僕は普段と同じ時間に会社に着いていた。
 ロッカールームでつなぎに着替え、担当エリアごとに本部の壁面に並べて下げられた鍵束をつかむと、連絡書類にサインをしてからバックヤードに入り込んだ。午前中の空気はまだ肌寒かった。指定のボア裏地付きジャンパーをはおって出ればよかったと思った。少なくとも、すれ違う僕と“ハロー、おはようございます”と決まった挨拶を交わし合うスタッフは男も女も年齢問わず、みなその群青色のジャンパーを着ていた。
 さらに早足になった僕はN扉の位置からバックヤードを抜け、開園前の「レイン・レイン」の裏口に移動した。ちなみに当時は設計変更にまだ対応しておらず、N扉は裏口から二メートルほどずれていた。そのせいで、もしお客さんが入場している時間だと、スタッフが一瞬見えざるを得なかった。だからN扉の内側、目の高さあたりには常に『ここから先はあなた自身がアトラクション!』という貼紙があった。
 裏口の鉄扉は外壁よりかすかに濃い色に塗られていた。僕は三つある錠をすべて開け、冷たく湿った空気の中に入った。常時回っているモーターの低い音が地の底から重層的に響いていた。振動そのものを耳にしているのは、今自分だけだと思った。
「レイン・レイン」はアトラクションとしては七つのブロックに分かれていた。時おり一階から二階、あるいは地下へと部屋が移るのは、全体がH2Oの分子構造、つまりV字型の連なりを模しているからで、水平にV字のゾーンなら階は変わらず道が分かれるし、上下に階段が向かっていればV字が垂直になっているのだった。
 僕は連続する分岐の最も手前にある操作室に入り、複数あるモニターのスイッチをひとつずつつけた。タイムラグがあって、やがて各ブロックの映像がモノクロで揺れ出した。
 特に闖入者がいる様子もなかった。流れるべき水はすべて正しい方向に流れていたし、夜になると嵐がやむ区域は豪雨を待っていた。内壁をつたう水滴はほとんど落ちきっており、それが床に隠されたパイプを通って排出されているのは、湿度メーターや自動ポンプの動きで確認出来た。各ブロックを視認しようと、僕は備え付きの懐中電灯を片手に操作室を出た。
 来た、と思うと裏口の鉄扉のノブが回った。逆の順ではなかった。
「お、早いじゃないか」
 扉から館内に体を滑り込ませながら、園田さんは僕の姿を見ずに言った。
「ハロー、おはようございます」
「ほい、ハロー」
 古参の中でも、園田さんは特別に挨拶が雑だった。曖昧に下を向いたまま操作室に入った園田さんは群青色のジャンパーを肩にはおっていた。頭上にはその日、白い煙がただよっていなかったように思う。
 ゴミ箱に何か軽いものを放った音がした。鍵束を確認し、作業連絡ノートを開いたのもわかった。一度ティッシュで鼻をかむのに続いて、まだノートに目を落としているだろうと思われるくぐもった声が部屋から漏れてきた。
「人生に不均衡があらわれるときは、まず地鳴りが聞こえるんだよ。やつも聞いただろう」
「え?」
 という声が自分の咽喉の奥からした。地鳴りという単語から、さっき聴いたモーター音を連想するのが精いっぱいだった。園田さんは続けて、しかし今度は少しゆっくりと言った。
「キシロウ・ナカムラは今日、捕まる」
 ますますわけがわからなくなった僕は、思わず操作室の中に戻った。園田さんは新聞に目を落としていて、そのままの姿勢で口を開いた。
「斡旋収賄。国会会期中に逮捕される議員は、ずいぶん久しぶりなんだとさ。あ、わかるか、ゼネコンの」
「わかります。あの、その前に園田さんが言ってた地鳴りの話なんですけど……」
 園田さんはそれにはまったく答える気がないようだった。
「俺も読みでは一字違いのキチロウだけに気になるんだよ、キシロウ・ナカムラのことは。こっちはしがない雨職人、向こうは大物政治家だけどな」
 ようやく園田さんは僕を見た。そしてくしゃくしゃっと笑った。もう何を聞いても答えないだろうと思った。園田さんの中で物事が短く完結してしまったのだ。
 ヘルメットをかぶった園田さんの後ろを僕は歩いた。まず入り口から最も近い『ジャスト・ビフォー・ザ・レイン』の点検だった。夏の夕立が始まる直前の湿度を、その部屋は完全再現していた。不連続にそよぐ不穏な南風も、みるみる空を覆う黒雲も、急激な気圧の変化もすべて園田さんのプログラム通り動いていた。お客さんはその日もこのアトラクション内で、“動物ならではの勘を取り戻す”に違いなかった。雨が降る、と思うのだ。
  
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by seikoitonovel | 2011-03-06 22:35 | 第一小説

7-2


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    『BLIND』9-2

 ヘレン・フェレイラは黄金色の髪をした長身のアメリカ人女性で、我々の中では執拗なほど細かい聞き取りをする調査員として有名だし、パリで数年間カール・ラガーフェルドのフィッティングモデルをつとめていたという異色の経歴の持ち主だが、御存知のように彼女もまた、その日の遠野美和による5回に及ぶ通話を克明に記録している。
 一回目の時刻はもう我々がそらで言えるはずの、午前8時46分である。
 二回目は切ってすぐ。美和は目当てのパン屋に電話がつながっていないと考え、その理由がわからず不安になり、もしかするとテープの中で店名を言っていたのを聞き逃したのかもしれないと思い直しながらも、すでにその時点で例の音楽の、海底をたゆたう藻のような揺れや曇天の下の群衆のざわめきに似たくぐもりをかなり正確にとらえていたと言われている。
 その証拠にとヘレンは、美和が通話時に開いていたノートの隅に描かれた意味不明な、もじゃもじゃした、西部劇などで風に吹かれて地を転がってくる枯れ枝の塊のような図を添付している。それは一回目の電話と二回目の電話の間に描かれたいたずら書きとされているのだが、『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』分科会において、ヘレンはボールペンの赤インクの跡が、件の曲のキーボードの音の高低に完全に一致していると抑制的な声で主張し、それもひとえに驚異的なリスニング能力、表現力ゆえだと称賛した。美和=超人説も我々の中に絶えないが、ヘレン・フェレイラはその説をとる最右翼の人物だろう。
 ともかく、美和は数分のち、リダイアル機能を使うことなく番号を入力し直した。押し間違いの可能性を考慮したからだが、かといってノートを再確認することはしなかった。
 呼び出し音が切り替わると、またあの音楽が押し寄せてきた。南国の湿気のような、心地よい疲れのような、あの音楽。クリーム色の竜巻がスローモーションになって見えた、と美和は言っている。これはヘレン・フェレイラ以外の調査員も一様にレポートに書き込んでいる言葉だ。
“絶えず空気が上昇する竜巻の中で”、美和はこの曲を聞いたことがある、と思った。けれどそれがどんな歌手の、なんという曲かを自分は教えてもらっているだろうか。はっきりとは思い出せないが、私は知りたがったはずだ。曲の名がわからないように、襲いかかる寂しさにも美和は名前がつけられなかった。
 すると、靄の奥から、くぐもった男の声が聞こえた。
 はい、華島徹です。
 美和はうろたえた。そして、間違い電話をしたのだとはっきり認識した。
 ただ今留守にしています。
 ではこの人にも曲名を聞くことが出来ないのだな、と美和は奇妙な感慨を抱いたという。と同時に、見知らぬ人の家に呼び出し音を響かせたことに怖れを感じもした。21世紀の現在においてさえ、間違い電話には奇妙な罪悪感がつきまとう。いや、“罰せられるのではないか”という反射的な怖れというべきだろうか。けれど、途中で切ることも美和には出来なかった。その方が罪が重いと思った彼女は、罰を受けるように録音テープの声に耳を澄ました。
 ピーッという音のあとにお名前とご用件と連絡先を吹き込んで下さい。
 謝罪の言葉が出かかった。しかし、美和がとどまったのは、自分がすぐにもう一度電話をするとわかったからだった。
 次で必ず、記憶を呼び起こしてみせる。美和はそう考えながら子機2の『切』ボタンを押し、今度はリダイアルの機能を使った。その瞬間、あえて間違い電話をかけるという次元の違う行為に美和は足を踏み入れたことになる。
 ヘレン・フェレイラは、三度目の電話のあとの遠野美和の落胆を想像してみるよう、レポートの読者に訴えている。もやもやはいっそう増し、罪の意識も“出来あがったソーセージを羊の腸でもう一度包むように” 厚くなった。
 美和はいったん階下に降り、電話帳で番号を確認し直した。写し間違いの事実は、記憶をたどれなかった敗北感とともに彼女を打った。美和はその場で親機を使い、開店直後のパン屋『デルスウザーラ』に電話をすると、一方的に酵母の話をして店員をとまどわせたという。「あの時、美和の話していたアイデアは画期的でした。酵母を進化させるんじゃなくて……ちょっと今はくわしく言えないんですが、私は発想を盗まれてしまうんじゃないかと心配で、キッチンから飛び出しそうになったほどです。幸運なことに、相手が酵母の知識のないアルバイトの男の子だったようで、美和もあきらめて電話を切りました」(遠野壮子)。
 壮子によれば、それから夕方まで二人は基本的に、一階のリビングルームにいた。掃除も洗濯も久しぶりに一緒にしたのだが、美和は考えごとにふける様子で、時おりテレビを置いたチーク材の幅広い棚からアナログレコードを引っ張り出しては、それに針を落として聴いたという。美和自身は物心つく頃からCDにしか触れていなかったから、そのほとんどが父の太一
の残していった所有物で、壮子が言うには “アジアの民族音楽やロシア聖教の音楽コレクションがたくさんあるのに、娘は俗な音楽ばかり選んで少しずつかけてやめ、せっかく掃除した部屋を絶えず埃臭くした”のだそうだ。
 四回目と五回目の電話は、姉の香の帰宅を待った夕食後、それも明らかに壮子の入浴時を狙った21時過ぎに行われた。それは姉の“やましい電話ではないかと感じた”という証言でもわかる。美和は壮子の監視をさけるように、母親がバスルームに入るのを待って二階に上がったのだった。
 若い方々はもう御存知ないだろう。子機の通話は親機のボタンの緑色の点滅で必ず確認出来た。かつて一家に一台の電話が当たり前の時代があり、誰がいつ使っているのかを家族はお互い暗黙のうちに知っていたのである。
 もしもつながったら切るつもりだった、と美和本人は言っている。音楽のことを思い出しているうちに、徹の言葉と声の記憶を何度もなぞるようになったのだ、とも。

 

 
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by seikoitonovel | 2011-02-06 21:36 | 第一小説

7-1-b


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     『BLIND』9-1-b

 その夜まで、ここで語るべき話はない。
 華島徹は“ランド”閉園後、園田吉郎につきあって駅前にある唯一の飲食屋で生ビールを二杯飲み、幾つかのつまみとトンカツを食べ、最後に茶漬けをすすった。それは園田が経費として提出したレシートからもわかる。
 小雨の中、なお頭部を白く煙らせて上機嫌でいた園田とホーム上で反対方向に別れ、東亀沢駅に着いたのが当時のダイヤによると午後9時21分。コーポ萱松の二階には午後9時40分までにたどり着いていたことになる。
 傘を閉じ、木目調のドアを開けようとすると、暗い部屋から静かに光がこぼれ出してきて徹はひどく驚いた。しかし、それは脚色された思い出だろう。実際は単純な赤色の光であったはずで、つまり通話を示すランプだった。徹はベルの音が苦手で音量を最小にしていたのだ。
 靴も脱がずに部屋にあがり、受話器を取ったが、すでに電話は切れていた。ツーツーツーという音が薄闇の中に響いた。留守番電話の件数を示す小窓に5と、やはり赤く表示されていた。それほど多くのメッセージがあったのは初めてで、実家に何かあったのではないかと徹は不安になった。雨で濡れた靴をはいたまま、徹はデジタル数字が放つ光を頼りに再生ボタンを押した。
 すべてが無言だった。無言のまま、保存の規定時間いっぱいまで相手は通話を切らなかった。5本目まで聞き終えると、徹はのそのそと玄関まで戻り、靴を脱いだ。雨は靴下まで濡らしていた。徹は裸足になった。外で自転車のブレーキがブランコめいた音できしんだのを、徹は覚えている。
 もう一度1から5までの無言を聴き終えた。『just the two of us』を歌う声の間に、かすかな息づかいがあるように思った。再生音量を上げ、徹は息づかいの温度を探った。同じ人物が何度もかけてきていると徹はやがて確信し、それらが単なる無言電話なのではなく、メッセージがないこと自体がメッセージではないかと思った。この時点で、すでに徹は美和のことを美和以上に理解しようとしていた。 
 我々インタビュアーの討議の中で、『just the two of us』が催淫効果を持つのではあるまいか、という仮説が一時有力視されたことも記しておきたい。美和もこの日、5回この楽曲を聴き、次第に徹の声に魅かれてそれを目当てについふらふらと翌日も通話をするのだし、徹はありもしなかった可能性の方が強い息づかいを同じ曲の向こうに見つけ出して、まだ性別もわからない相手に圧倒的な好意を抱いたのだから。
 


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by seikoitonovel | 2009-11-22 21:50 | 第一小説

7-1


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     『BLIND』9-1

 その夜まで、ここで語るべき話はない。
 華島徹は“ランド”閉園後、園田吉郎につきあって駅前にある唯一の飲食屋で生ビールを二杯飲み、幾つかのつまみとトンカツを食べ、最後に茶漬けをすすった。それは園田が経費として提出したレシートからもわかる。
 小雨の中、なお頭部を白く煙らせて上機嫌でいた園田とホーム上で反対方向に別れ、東亀沢駅に着いたのが当時のダイヤによると午後9時21分。コーポ萱松の二階には午後9時40分までにたどり着いていたことになる。
 傘を閉じ、木目調のドアを開けようとすると、暗い部屋から静かに茜色の光が漏れ出してきて徹はひどく驚いたと言っている。しかし、それは脚色された思い出だろう。実際は単純な赤色の光であったはずで、つまり通話を示すランプだった。徹はベルの音が苦手で音量を最小にしていた。
 靴も脱がずに部屋にあがり、受話器を取ったが、すでに電話は切れていた。ツーツーツーという音が薄闇の中に響いた。留守番電話の件数を示す小窓に5と、やはり赤く表示されていた。それほど多くのメッセージがあったのは初めてで、実家に何かあったのではないかと徹は不安になった。雨で濡れた靴をはいたまま、徹はデジタル数字が放つ光を頼りに再生ボタンを押した。
  

 
 
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by seikoitonovel | 2009-10-04 21:50 | 第一小説

6-3


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       『BLIND』-8

 例えば、21世紀の明日生まれる子供は、「子機」という存在になんの思い入れも持たずに育つはずだ。彼らは思春期に至る以前に、個人的な通話のすべてを自分専用の携帯電話で行い始めるだろうからである。
 かつて子機は家族からの情報上の自立を象徴し、同時に家族からの微温的な監視をも暗示していた。つまり、「子機」はまさに家族と密接につながったメディアだったのであり、我々はその懐かしさを知る最後の世代なのに違いない。
 その朝、美和もまた子機を持ち、二階の自室に上がったのである。母・壮子が買った純白の留守番電話機セットには、もともと子機1しか付属していなかった。が、長電話のためだろう、壮子は子機2も追加購入し、1を自分専用として自室に置いたのだった。したがって、美和が使用したのは子機のうち、2の方である。
 美和は酵母について徹底的に学んでおくようにと、洞窟コーポレーション社長・黒岩茂助(62)から直接、厳命を受けていた。新しいパンのためには、まず新しい酵母をという先駆者的発想を、遠い目をした黒岩は濃いヒゲの下から低い声で朗々と語ったという。
 感激した美和はある限りの関係書籍を図書館から借りて読み、自宅でもパン生地の発酵を何度か試すうち、前日の昼間、数種類の酵母でパンを焼く店がトーキョーにあると、買い物から帰った壮子が言い出した。商店街でかかっていたFMラジオの番組(『モーニング・デュー』)で紹介されていたのだそうだ。壮子はそらで店の名前を覚えていた。
 美和は即座に、ぶ厚い電話帳から店の番号を見つけ出した。話を聞きに行くしかあるまいと美和は決意していた。誰も使ったことのない酵母でふくらんだパンについて、美和はすでに夢のような構想を、まさに発酵前のパン生地のごとく練っていたからであった。応接間のテーブルの上で、美和は9ケタの電話番号を『酵母ノート』に書き写した。このとき、右から二番目の数字を写し間違えていなければ(3であるべきところが5になっていた)、この長いレポートは生まれていない。
 本当は開店時間である午前9時きっかりに、調べた番号を押すつもりだった。だが、自室の机にノートを開き、子供の頃から使っている木の椅子に座ると気がはやった。営業日か否かも心配だったと美和は証言している。だから美和は相手が出るかどうかだけをまず確かめるために、電話をかけた。インターネットが出現する以前には、こうした行動は一般的にあり得た。
 相手が出た途端に切るつもりでかける電話は、当然かけ手に罪悪感を与える。03から始まる番号をプッシュしながら、美和は冷たい子機2を耳に押しつけて息を詰めた。
 コールは5回だったと美和は言っている。チャッという舌打ちのような音がして、美和の心臓ははね上がった。すると耳への圧力が変わり、速度の一定でないうねりが聞こえてきた。それが音楽であり、留守番電話につながったのだとわかるまでにわずかな時間がかかった。店が休みなのかもしれないと思う以前に、その音楽に聞き覚えがあることが美和を強くとらえた。甘く翳りのあるメロディだった。確かに自分はその曲を知っていた。だが、タイトルが出てこない。そのメロディにまつわる風景が、美和には思い出せなかった。
 はい、華島徹です。ただ今留守にしています。ピーッという音のあとにお名前とご用件と連絡先を吹き込んで下さい。
 数秒の音楽に続くメッセージを、美和はほとんど聞き逃した。1994年3月10日、午前8時46分の通話はそのまま終わった。
 園田吉郎が華島徹に譲り渡した古い留守番電話のテープには、したがって何も残らなかった。このMEISON製の初期型留守番電話KL-B200がなぜ、園田から華島に手渡されたのかはまたのちに語ることにして、我々はまずここで、美和をとらえた音楽について報告しておきたい。
 華島徹によって確認されたところによれば、それは紛れもなく『just the two of us』という1980年のヒットソングであった(グローヴァー・ワシントンJRのアルバム『ワインライト』収録)。ちなみに、本曲をBGMに使うようにと華島に古いカセットテープを渡したのはやはり園田吉郎で、そのため音の速度が一定でなく、美和を迷わせたことになる。
 歌詞が二人にとって大変予言的なので、一部をここに掲載しておく。

 透明な雨粒が落ちていく
 そして美しいことに
 太陽の光がやがて
 僕の心に虹を作る
 時々君を思う時にも
 一緒にいたい時にも

 二人きり
 二人きりでいればかなう
 僕ら二人でいれば
 砂上に楼閣を築きあげて
 たった二人
 君と僕             
             (日本語訳・佐治真澄)




  
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by seikoitonovel | 2009-07-18 20:57 | 第一小説

6-2


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『BLIND』-7

 その美和の能力によれば、彼女の母・壮子が、生まれ育った桐生市の友人らと共に『伝説のカイコ<シロ玉>を復活させる市民の会』に関わり始めたのが、父・太一の失踪のちょうど7日前であった。壮子はその蒸し暑い日(1990年7月7日)の夜、彼女自身の証言では、出身校である桐生第三女子高等学校の同級生・花房由香里(『伝説のカイコ<シロ玉>を復活させる市民の会』副会長)と二時間ほど「珍しく」長電話をした。
「珍しく」、と付け加えたのは壮子自身だが、ある時期から彼女の通話は常に長かったと美和は言っているし、姉・香もそれには完全に同意している。そして、その“ある時期”は、太一が50歳を過ぎて職を失った頃とぴったり重なる。
 それまで勤めていた会社は、壮子の父・数一が興した地方の代理店であり、太一はなんの手柄がなくても事業を継承することが内々に決まっていた。だが、太一は突然、社に退職願を出した。もちろん、“突然”と見たのは周囲の人間であり、太一は入社以来四半世紀、その日を予感し続けたのかもしれない。娘たちの名前が奈良の山からとられている理由を含め、太一に関する調査報告はのちの章に譲ることにして、レポートを先に進める。
 当時、壮子は自分の父とも、取引先の地方財閥の重鎮とも、社の株主たちとも電話で長い話をした。おそらく、この件に関しては太一とこそ最も会話をしていなかったのではないか。結果、壮子は父の財産であるマンションを二棟譲り受け、その家賃を運用することで遠野家の経済をまかなっていくこととなった。
 さて、1990年7月7日午後10時過ぎ、壮子は長い通話のあと、自分が養っている家族全員を居間に招集し、七夕は棚機とも書き、織物の文化と密接に結びついているというエピソードから始めて、桐生市の役場がオリヒメ市にあることを皆に思い出させたのち(オリヒメは7月7日を象徴する女神であり、一年に一度この日が晴れなければ愛する男神と邂逅出来ないという、遠距離恋愛の代表者でもある)、シロ玉という桐生特有のカイコが戦後十数年の間にいかに貴重で神秘的な絹を作り出したか、それがひいては貧しかった日本の産業の礎を築き、復興の役に立ったかについて滔々と熱弁をふるった。
 だが、シロ玉はウィルスに弱かった。他品種の輸入、交配を経て、かの美しい種は一気に絶滅した。あたしは、そのシロ玉をもう一度この桐生に甦らせたい。壮子は七夕の夜、家族の前でそう力強く言い放った。
 美和の中で、この不在のカイコ復活への母の情熱は、退職以来まるで仕事をしようとしない父への叱咤激励と直接つながっており、同時に皮肉にも当の父を失踪させてしまう原因でもあった。
 しかしながら、シロ玉と同じく太一が不在になったからといって、壮子の活動が終息することはなかった。むしろ、そのカイコが太一自身であるかのように、壮子はシロ玉の復活を願った。ちなみに、それ以来毎年七夕には、遠野家の居間に巨大な笹が飾られ、短冊に「甦れ!」「甦れ!」「甦れ!」と執拗に同じ達筆が踊ることともなったのである。
 我々の調べでは、娘二人のうちで美和のみが両親のこうした行動のちょっとした過剰を気に病み、逐一記憶にとどめていた。姉・香は幼稚園の頃から、我関せずという外界への一貫した態度でつとに知られており、一時は自閉傾向も認められていたくらいだった。
 家族の中で最もよく繰り返されたのは、香が小学校高学年の修学旅行時、同級生集団とキョウト市内ではぐれた折の逸話である。一時間後、担任に発見された彼女は、交差点の中央で「人」の形になって止まった二台の大型トラックの、ちょうど文字の接点のあたりに立っていた。正面衝突という最も派手な交通事故に巻き込まれたのだが、奇跡的に香には怪我はなかった。そして、救急車とパトカーと野次馬と担任の金切り声で騒然とする夕方の交差点で、香は静かに大判の雑誌を読み始めたのだという。理由を聞かれる度に、暇だったからと香は面倒くさそうに答えた。
 美和は恋愛以前、この姉に苦手意識を持っていた。自分は愛されていないと感じたし、自分が愛しているのかどうかも不明だった。香をどう扱っていいのか、美和はまるでわからなかったのである。いや、それを言ったら、美和は母の扱い方もわからなかった。父に至っては、扱おうにも消えていた。
 だから遠野美和はいつも微笑んでいた。とまどっている時、美和の顔は柔和になった。その笑顔のまま高校を卒業し、短大英文科をトマス・ハーディ作品を使った文法教育を受けて出ると、祖父の会社に入る話を断って(先に姉がそうしてくれていたから、母からの反対はさほど強くなかった)、市内のパン屋を数店経営する会社に就職した。
 本社を『洞窟コーポレーション』と言った。チェーン店の名は『パン・ド・フォリア』、<狂気のパン>であった。美和は小学生の頃から通っていたこのパン屋で、自分が過去食べたパンの名前をすべて言えた。くるみパン、クロワッサン、狂気のクロワッサン、レーズン入り食パン、チーズ&パセリ練り込みロール、狂気のチーズ&パセリ練り込みロール、あずきカンパーニュ、クラブハウスサンド、懐かし蒸しパン、狂気の懐かし蒸しパン、有機野菜BLT……。美和は洞窟コーポレーションの社長から驚異の新人と呼ばれ、企画事業部に配属されることがすでに内定していた。
 そして、入社前研修中の1994年3月10日、あの午前8時46分が訪れる。
 華島徹のいる東京には雨が降っていた。だが、美和の桐生市は曇りだった。

 
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by seikoitonovel | 2009-07-05 13:28 | 第一小説

第一6-1


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   『BLIND』-6


 遠野美和はもちろん仮名だが、その名前が日本の古代史の集約された土地、ナラの神聖な山々からとられていることは、事実と変わりない。このレポートの中で美和の姉を香(かおり)と呼ぶのも、同じ理由からである。我々は名付けにあたって三輪山と香具山(後者の名の中にある「カ」という音節は、「香り」をあらわす表意文字で示されている)を選んだが、彼女らの父、まさにそのナラで日本の敗戦日1945年8月15日の正午過ぎに生まれた遠野太一は(したがってこの人物こそ、日本の戦後そのものだと言える)、さてどうであったろう。
 そもそも、なぜ太一はそこまで故郷の、しかも山に思い入れたのか。もし山に思い入れがなかったのだとしても、すでに他県で数年生活していた太一が、なぜ遠く離れたナラの山々と自分の娘の名に関係を持たせようとしたのか。妻である壮子にも、実はきちんとした説明がなかったのだという。
 遠野美和が生まれた翌年の1975年、太一はナラ市内に住む親戚に歳暮の礼状を書き、その中で「重蔵おじ、もし次が男の子だったら俺は」と仮定して、やはりナラの山から名をとっている。ちなみに、この遠野重蔵氏(郷土史家)は電話取材に際して、三つの山の頂点を地図上でつないでみるとどうなるか、とさかんに我々を挑発したのだが、ここで古代ミステリーの世界に迷い込むわけにもいかない。
 むしろこの名付けのエピソードには、無口だと誰もが口をそろえて言い、いつまでもよくわからない人物と評される太一の、何事か手触りのある思考の輪郭を我々は感じる。決して気分屋には出来ない、継続した沈思黙考の中に遠野太一はおり、次女の美和はそれを鋭敏に受け取っていた。父はいつでも何かを考えていました、けれども父自身にもそれが何であるかがわかっていない風でした、と美和は言っている。
 残念ながら現在、太一の思考の内容を確認する手段はない。なぜなら4年前の1990年、美和が16歳になった夏に、遠野太一は長年家族と住んだ群馬県桐生市の一軒家を出たまま帰らなくなってしまったからである。死んだのでは、少なくとも当時はなかった。美和によれば、父はまるで帰り道を忘れたようにいなくなった、のであった。
 実際、太一は年に数回、美和にだけ電話をしてきた。つまり、美和が最初に電話を取り、しばらく無言でいる父の息遣いと耳を澄ましているらしき集中に気づいて、近くには誰もいないと告げた時にだけ、太一はしゃべり出した。したがって、太一からの着信自体はもっとずっと多かったと思われる。
 美和との通話において、太一は主に妻・壮子と長女・香の消息を聞きたがった。したがって、美和は自分のみが父の声を聴き得るという特権のかわりに、父が自分については何も知ろうとしないという事実を突きつけられて混乱した。だが、だからといって美和は父からの電話を拒絶しなかった。
 その太一からの電話が途絶えたのが1993年5月4日以降、と手帳も見ずに日付を言ったのは美和で、拒絶するどころか彼女が父からの発信を心待ちにしていたことがよくわかる。さらにこの証言の直後、美和は同日カンボジアのバンテアイミアンチェイ州で(何度か録音テープを聞いたが、美和はこの州の名をよどみなく発音している)日本から派遣された文民警察官が武装集団に襲われ、死傷者が出たことを思い出している。遠野美和に取材したことのある人間で、こうした彼女のきわめて高い記憶力に驚きをもらさなかった者は一人もいない。
 

 
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by seikoitonovel | 2009-06-03 18:43 | 第一小説

第一5-1


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5-1

    人に知られりゃ浮名も立つが
         知られないのも惜しい仲

      
              日本近代・明治期の都々逸より


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by seikoitonovel | 2009-05-11 01:43 | 第一小説

第一4-1


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4-1

   『親愛なるカシムへ』
            2001年7月25日消印
             島橋百合子さんからの書簡1-1
               (本人許諾により発表)

 神戸に寄ってくださるとは、夢にも思っていませんでした。いえ、貴方が生きていることさえ、私は忘れていたのです。残酷だ、と貴方はあの夜と変わらぬ言葉をつぶやくでしょうか。
 私たちが同じ時間の中でとまどっていたあの頃、神戸にはまだ戦争の爪痕が点々と残っていました。私もまた、そのひとつだったかもしれません。父の庇護下で生活には困らなかったけれど、確かに私は敗戦国の娘で、十七年かけて覚えた人生の習慣をほぼすべてかなぐり捨てている最中だったのですから。
 けれど、カシム、貴方だけは無傷でした。貴方の魂それ自体、何も傷ついておらず、またそれが私をさげすんでもいないことが私をどれだけ救ったことか。
 港の揚げ荷を見るのが、私たちのお気に入りだったことを覚えていますか。月曜日と水曜日の午後、坂の上の教会で貴方に英語を半時間教わってから、狭い三叉路を歩いて港に出たものでした。錆の塊のような大きな船の横腹に荷がぶら下がるのを、私も貴方も飽きずに眺めていた。
 望郷が浮かんでいる、と貴方は何度か言いました。いつだったか、私にとっては解放だと言うと、貴方はようやく私を見た。その時の貴方の、形のよい眉の下の緑色の右目をはっきり覚えています。ただし、やがてまとまる貴方の処女詩集には、揚げ荷と望郷のテーマのみが出現して光輝き、解放の象徴として船腹にぶら下がる荷も、むろん貴方の緑色の右目も出ては来ないのだけれど。
 貴方が来た年、GHQは神戸港の占領を終えました。私にとってはその巡り合わせだけですでに、貴方が神秘でした。貴方が茶の湯を見たいと言い、華道や連歌に興味を持って私の師匠の会に出席し、私をユリコと呼ばず、「神秘嬢(miss mystique)」と言葉遊びのようなあだ名をつけてからかい出した時、私は貴方の色違いの目こそが神秘だし、同じ頭韻ならユリコ・ユルマズの方がよほど上等だ、と何度言いたかったことか。
 貴方の伴侶になる想像を、私は音の響きから偶然得たと当時、思っていました。若い私はまだ、恋の仕組みを知らなかったのです。


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by seikoitonovel | 2009-04-30 23:26 | 第一小説