自由 


by seikoitonovel
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2011年 03月 06日 ( 2 )

7-3-1


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『BLIND』9-3-1

 翌日も同じ銀色の電車に乗り、同じ駅で降りて「あらはばきランド」まで歩いた。
 僕は気に入っていた黄色いベルトのスウォッチを何度も確認したし、運営本部の上方に掛けられた丸い時計とタイムカードを見比べた。いつもより少し早いペースで歩いたはずなのに、僕は普段と同じ時間に会社に着いていた。
 ロッカールームでつなぎに着替え、担当エリアごとに本部の壁面に並べて下げられた鍵束をつかむと、連絡書類にサインをしてからバックヤードに入り込んだ。午前中の空気はまだ肌寒かった。指定のボア裏地付きジャンパーをはおって出ればよかったと思った。少なくとも、すれ違う僕と“ハロー、おはようございます”と決まった挨拶を交わし合うスタッフは男も女も年齢問わず、みなその群青色のジャンパーを着ていた。
 さらに早足になった僕はN扉の位置からバックヤードを抜け、開園前の「レイン・レイン」の裏口に移動した。ちなみに当時は設計変更にまだ対応しておらず、N扉は裏口から二メートルほどずれていた。そのせいで、もしお客さんが入場している時間だと、スタッフが一瞬見えざるを得なかった。だからN扉の内側、目の高さあたりには常に『ここから先はあなた自身がアトラクション!』という貼紙があった。
 裏口の鉄扉は外壁よりかすかに濃い色に塗られていた。僕は三つある錠をすべて開け、冷たく湿った空気の中に入った。常時回っているモーターの低い音が地の底から重層的に響いていた。振動そのものを耳にしているのは、今自分だけだと思った。
「レイン・レイン」はアトラクションとしては七つのブロックに分かれていた。時おり一階から二階、あるいは地下へと部屋が移るのは、全体がH2Oの分子構造、つまりV字型の連なりを模しているからで、水平にV字のゾーンなら階は変わらず道が分かれるし、上下に階段が向かっていればV字が垂直になっているのだった。
 僕は連続する分岐の最も手前にある操作室に入り、複数あるモニターのスイッチをひとつずつつけた。タイムラグがあって、やがて各ブロックの映像がモノクロで揺れ出した。
 特に闖入者がいる様子もなかった。流れるべき水はすべて正しい方向に流れていたし、夜になると嵐がやむ区域は豪雨を待っていた。内壁をつたう水滴はほとんど落ちきっており、それが床に隠されたパイプを通って排出されているのは、湿度メーターや自動ポンプの動きで確認出来た。各ブロックを視認しようと、僕は備え付きの懐中電灯を片手に操作室を出た。
 来た、と思うと裏口の鉄扉のノブが回った。逆の順ではなかった。
「お、早いじゃないか」
 扉から館内に体を滑り込ませながら、園田さんは僕の姿を見ずに言った。
「ハロー、おはようございます」
「ほい、ハロー」
 古参の中でも、園田さんは特別に挨拶が雑だった。曖昧に下を向いたまま操作室に入った園田さんは群青色のジャンパーを肩にはおっていた。頭上にはその日、白い煙がただよっていなかったように思う。
 ゴミ箱に何か軽いものを放った音がした。鍵束を確認し、作業連絡ノートを開いたのもわかった。一度ティッシュで鼻をかむのに続いて、まだノートに目を落としているだろうと思われるくぐもった声が部屋から漏れてきた。
「人生に不均衡があらわれるときは、まず地鳴りが聞こえるんだよ。やつも聞いただろう」
「え?」
 という声が自分の咽喉の奥からした。地鳴りという単語から、さっき聴いたモーター音を連想するのが精いっぱいだった。園田さんは続けて、しかし今度は少しゆっくりと言った。
「キシロウ・ナカムラは今日、捕まる」
 ますますわけがわからなくなった僕は、思わず操作室の中に戻った。園田さんは新聞に目を落としていて、そのままの姿勢で口を開いた。
「斡旋収賄。国会会期中に逮捕される議員は、ずいぶん久しぶりなんだとさ。あ、わかるか、ゼネコンの」
「わかります。あの、その前に園田さんが言ってた地鳴りの話なんですけど……」
 園田さんはそれにはまったく答える気がないようだった。
「俺も読みでは一字違いのキチロウだけに気になるんだよ、キシロウ・ナカムラのことは。こっちはしがない雨職人、向こうは大物政治家だけどな」
 ようやく園田さんは僕を見た。そしてくしゃくしゃっと笑った。もう何を聞いても答えないだろうと思った。園田さんの中で物事が短く完結してしまったのだ。
 ヘルメットをかぶった園田さんの後ろを僕は歩いた。まず入り口から最も近い『ジャスト・ビフォー・ザ・レイン』の点検だった。夏の夕立が始まる直前の湿度を、その部屋は完全再現していた。不連続にそよぐ不穏な南風も、みるみる空を覆う黒雲も、急激な気圧の変化もすべて園田さんのプログラム通り動いていた。お客さんはその日もこのアトラクション内で、“動物ならではの勘を取り戻す”に違いなかった。雨が降る、と思うのだ。
  
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by seikoitonovel | 2011-03-06 22:35 | 第一小説

父4-6


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6、チャンス到来・兵庫1区永江選対へ派遣さる


 そうして、こうした努力の成果を試す機会が巡ってきた。それが67年1月の第31回衆議院選挙である。
 66年に自民党代議士の相次ぐ汚職・職権乱用事件が発生し、田中彰治、農相松野頼三、運輸相荒船清十郎などが相次いで逮捕、辞任に追い込まれた。これを新聞は「黒い霧」と呼んだ。自民党一党独裁の弊害が爆発的に噴出したのである。
 野党は11月の臨時国会で黒い霧の追及を要求するが、佐籐首相はこれを無視し与党単独で補正予算審議を強行した。しかし沸き立つ世論に抗せず、年末押詰まった12月27日遂に衆議院解散となり、明けて1月8日公示、29日投票の選挙となった。
 私は急遽、兵庫1区永江一夫の選挙オルグとして派遣された。永江先生は戦後社会党内閣の農林大臣となり、民社結党の立役者の一人であった。60年選挙で落選、63年でも涙を呑んだ。当時は党本部の組織局長であり、私の直接の上司であった。なんとしても復活を遂げねばならない。
 オルグに決まるや党兵庫県連からすぐ飛んで来いとのこと、一刻の猶予もない、28日に新幹線に飛び乗り神戸三宮の党事務所にかけつけたのであった。事務者は突然の解散で党幹部や党員がかけつけ、ごった返していた。先生に挨拶し、当面の宿舎(ホテル)を紹介された。そして31日と1日だけ家に帰って来てよい。2日から常駐だ、との命令であった。30日夜家に帰り、家族4人であわただしい年末年始を過ごすと、2日の夕方には三宮に戻った。妻幸子は愚痴ひとつ言わず、万全の旅支度を整えてくれた。
 3日は6時半から三宮駅頭の朝立ち。そのあと事務所で朝食。そのあとは夜遅くまで職場へのオルグ、ビラ張りなどなどとにかく休む暇なしの強行軍がつづいた。長野県出身の私だったが、この年の神戸の寒さはこたえた。しかし夜になると若い同志たち、民社青連で共に活動してきた仲間たちがやってきて、三宮の飲み屋で時には神戸牛のビフテキや時にはスッポン料理で励ましてくれた。こうした兵庫の同志の暖かさが翌日の活動の原動力となったのである。
 こうして28日間のオルグを終えて投票日には家に戻って、投票(東京10区に党候補がないため、西尾末廣と書く)を済まし、翌日は党本部で各候補者の開票結果を待った。永江先生は見事に復活当選し、民社全体として30名が当選した。党の前途にようやく灯りが点ったのである。この選挙では公明党が初めて衆議院選挙に参戦、25名を当選させた。そして自民党は得票率50%を切り、社会は4議席減であった。
 永江先生に教えられて未だに忘れないことは次の言葉である。
 <その1> 
「政治とは何ぞや」と問う
「政治とは生活のことなり」
「生活とはなんぞや」と問う
「生活とは衣食住のことなり」
 簡単明瞭、政治は国民の生活を守り、高めること以外のなにものでもない。この頃の党首たちが盛んに「国民の目線に立って」ともっともらしく強調するが、そんなことは政治のいろはなのである。
 <その2> 
「選挙に当選したらみなさんのおかげ」
「落選したら不徳の致すところ」
 決して、天狗になったり、応援してくれた人を批判してはならない、という教え。候補者の基本的心構えである。


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by seikoitonovel | 2011-03-06 15:50 | 第三小説「思い出すままに」