自由 


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2009年 07月 06日 ( 1 )

父2-4


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私の結婚2


 帰京して邦雄氏に報告し、異存のないことを伝えた。それから暫くして邦雄氏から「幸子もいいと言っている」との返事があった。私は早速、結婚の日取りの検討に取り掛かる。民社党の結党(S35年1月24日)があって忙しかったので、すこし落ち着いてからと思い、5月中にと決めた。
 早速日本青年館に出向いたが、大安の日などはまったくふさがっていた。当時は結婚式・披露宴の会場は足場がよく、料金も安いこの日本青年館に人気があった。私もそこで結婚式をやろうと決めていたのだが、吉日はなかなか取れない。そんな時、係が「仏滅の日なら空いていますよ」という。冗談のつもりでいったのだろうが、私はこれにすぐに反応した。「俺は革新運動をやっている現代青年だ。大安とか仏滅などという旧来の慣習にこだわる必要もなかろう。仏滅の結婚式も話題性があっていいかもしれない」というわけで、5月31日(日曜日、仏滅)に決めたのであった。
 日と会場がきまれば最大の難問は誰に仲人になってもらうかであった。私は日本社会新聞の編集長山崎宏さんなら引き受けてくれるだろうと思い、相談した。すると山崎編集長は「西尾(末広)委員長がいいではないか。よかったら俺から頼んでやろう」とのこと。私にとって西尾委員長は私が尊敬する第一の人であり、私はこの人の思想と行動に共鳴して民社党を選択したのである。それまでにこの人の演説や文章に触発されてきたが、言葉を交わしたことはない。私のような一介の書記局員の仲人など引き受けてはくれまいと思ったが、「頼んでくれるだけで光栄です」と返事した。1週間もたたないうちに山崎編集長から「西尾先生がいいよと言っている」という連絡があった。私は感激した。
 山崎編集長は大島出身・東大をでて、戦後に出来た社会党内閣官房秘書官となった人。西尾官房長官時代の発言や文章は山崎さんの草案によるものが多かった。こうした強い繋がりによって西尾先生が仲人を引き受けてくれたのであった。
 3月のはじめに結婚式の案内状を島書記局長をはじめ今まで交友のあった仲間に送った。ところが、すっかり準備が整った段階で邦雄氏から「どうも幸子がこの結婚を断ってくれと言ってきている。結婚式など勝手に決めてくれても出席しないと言っているようだ」とのこと。
 これには愕然とした。案内状は送付ずみ、その案内状には「西尾末広御夫妻の媒酌によって」と記されている。なんとしても幸子を説得してもらう以外ない。邦雄氏に「こうなったら、とにかく出席してもらうだけでいいから」と懇願した。
 その後邦雄氏がどのように説得したかは知る由も無かったが「出席だけはさせるようにしたから」と返事があり、なんとか結婚式を済ますことができた。伊藤家からは父が、高木家からは両親が出席された。
 披露宴では渡辺朗さん(当時、党の国際局事務局長。後に代議士・浜松市長を歴任)が司会をひきうけてくれ、出席者も100人を超え、賑やかであった。披露宴が済むと党総務局阿部君運転の党の乗用車で東京駅まで送ってもらった。2日間の新婚旅行が組んであり、初日は箱根の小湧園、2日目は伊豆長岡の菊池旅館であった。この新婚旅行の費用は党書記局の仲間がカンパでまかなった。幸子は東京駅で列車に乗ってから覚悟を定めたようであった。
 こうして私たちの新婚生活がはじまった。
 最初の新居は三鷹市であった。


<いとうせいこう注
 淡々と書いてあるので見過ごしがちだが、父はデタラメである。
 母の都合も聞かずに式場を決め、日取りを仏滅にして「現代青年」を気取っている。
 これは父のせいではないが、そもそも母の結婚への意思はあやまって伝えられたらしい。
 母は話が勝手に決まっていると聞いて驚愕した。
 だからあわてて「この結婚を断ってくれ」と彼女の兄に伝えた。
 すると「(式に)出席してもらうだけでいいから」と父は懇願した。
 そして出席した母を、父は新婚旅行に連れていってしまった。
 これは略奪婚、と言ってもいいのではないか。

 母はどう証言するだろう。
 彼女が書いてくれた文章を以下に付す>


<『私のつぶやき』1(伊藤幸子)
「私の結婚のことについて」
 私の家は田舎の旧家でした。父は平凡なサラリーマン(特定郵便局長)をしておりました。 
 だから私はごく普通の家庭に育ったとおもいます。独身時代には5、6種のお稽古事をしながらのんびりすごしていました。
 したがって、縁談のお相手が政治活動をしている人だと聞いただけで、そんな人と添い遂げることなど自信がもてませんでした。私はあまり派手好みではありませんでしたし、都会の生活も不安でした。だから、すぐお断りしたのでした。
 ところが、兄たちに「縁というものは理屈でははかりきれないものだよ」などなど何度も説得されました。
 考えあぐんだ末、結婚を決意した次第です>


<いとうせいこう注
 やはり、これはほとんど略奪婚だ。
 そして、母が略奪される瞬間の写真が、先日実家で見つかったのである。
 箱根に向かう列車はまだ走り出していない>


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by seikoitonovel | 2009-07-06 13:05 | 第三小説「思い出すままに」