自由 


by seikoitonovel
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第二小説1-2

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 私は同級生の片足にしがみついている。私を振り払おうとする片足は強く動く。私の背中や後頭部には、拳が打ちつけられたかもしれない。
 同じように相手の片足にしがみついた者たちの影を私は思う。筆頭が『金色夜叉』の鴫沢宮だろう。尾崎紅葉の代表作の中で、間貫一を裏切るこの女は何度となく貫一にすがりつく。私の子供時代には、この貫一/お宮の不可解な愁嘆場がよくテレビでパロディにされていた。
 お宮は資産家の富山と結婚する流れに逆らわない。だから恋人である貫一は、熱海の海岸でお宮を責める。「一生を通して僕は今月今夜を忘れん」とまでイジケるのだから、すがりつくべきはむしろ貫一なのではないか。子供の私は白黒テレビの中の“二人連れ”を、いつもそういう奇異な思いで観ていた。
 イジイジした敗北者がなぜか威張っている。いずれ資産家の妻になる人生の勝利者が、その敗北者の“脚に縋付(すがりつ)き”、振りちぎられて膝頭を血に染めたりしている。
 これはまことにおかしな話だ。奇怪なイジケ構造である。
 だが、やがて私もまた、同級生に蹴られるのを避けるためにその片足にしがみつき、じっと離さずにいたことで勝利感を得るのだ。この場合、私は敗北者として貫一であり、しかし勝利することにおいてお宮である。
 さらにさかのぼって近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』もまた、片足にしがみつく者の話だ。しがみつくのは醤油屋の手代、徳兵衛。遊女お初との仲を裂かれ、勘当され、親友に裏切られて体面を潰され、徳兵衛は死ぬ以外ないと考える。
 色茶屋・天満屋の縁の下に隠れる徳兵衛は、お初女郎の着物の裾から出た白い足に頬を寄せたまま、裏切り者の親友が自分を勝手放題に侮辱しているのをひそかに聞く。そして、しがみついたその足をついに首にあてたとき、お初は徳兵衛が首吊り心中をはっきりと示しているのを知るのである。
 人形浄瑠璃においては通常、女の人形に足はない。だから、お初の足は特別で異様で艶めかしい。ただし、甲に頬ずりするような型は昔はなかったと聞いた気がする。故吉田玉男の工夫だという話が、私の記憶にはある。
 ともかく、ここでは男が女の片足をつかんで離さない。『金色夜叉』とは反対のパターンである。しかも、徳兵衛は足蹴にされない。
 ただ、主人公のイジケた気持ちだけは変わらないのである。貫一がイジケていたのと同様、徳兵衛もイジけている。親友に大事な金を貸し、返してもらえず、それどころか詐欺だと言われ、公衆の面前で殴られるのだから。
 徳兵衛は鮮やかな反駁とは無縁である。証文をたてに論理的に切り返す術がない。無策無能だとさえ言える。ゆえに粘りもなく、死ぬしかないと一足飛びの結論にはまり込む。
 近松は実際の心中事件をわずか一ヶ月後に舞台化したわけで、徳兵衛が死ぬことは絶対であった。あ、この手があった!などと思いつかれても物語が不鮮明になる。近松はトンチ話を書きたかったわけではないのだ。
 だから、徳兵衛はお初の片足にしがみつく他なかった。あたかも近松が遣う人形のように、徳兵衛は自由な道を塞がれていた。イジケが高まる中、徳兵衛は死だけを思いつくように仕向けられていた。あ、この死があった!ということになる。
 すっぽんと心の中で自称した私にだって、当時、その人形じみた思いつきがあったのではないか。



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by seikoitonovel | 2009-03-16 00:07 | 第二小説