自由 


by seikoitonovel
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『BLIND』-7

 その美和の能力によれば、彼女の母・壮子が、生まれ育った桐生市の友人らと共に『伝説のカイコ<シロ玉>を復活させる市民の会』に関わり始めたのが、父・太一の失踪のちょうど7日前であった。壮子はその蒸し暑い日(1990年7月7日)の夜、彼女自身の証言では、出身校である桐生第三女子高等学校の同級生・花房由香里(『伝説のカイコ<シロ玉>を復活させる市民の会』副会長)と二時間ほど「珍しく」長電話をした。
「珍しく」、と付け加えたのは壮子自身だが、ある時期から彼女の通話は常に長かったと美和は言っているし、姉・香もそれには完全に同意している。そして、その“ある時期”は、太一が50歳を過ぎて職を失った頃とぴったり重なる。
 それまで勤めていた会社は、壮子の父・数一が興した地方の代理店であり、太一はなんの手柄がなくても事業を継承することが内々に決まっていた。だが、太一は突然、社に退職願を出した。もちろん、“突然”と見たのは周囲の人間であり、太一は入社以来四半世紀、その日を予感し続けたのかもしれない。娘たちの名前が奈良の山からとられている理由を含め、太一に関する調査報告はのちの章に譲ることにして、レポートを先に進める。
 当時、壮子は自分の父とも、取引先の地方財閥の重鎮とも、社の株主たちとも電話で長い話をした。おそらく、この件に関しては太一とこそ最も会話をしていなかったのではないか。結果、壮子は父の財産であるマンションを二棟譲り受け、その家賃を運用することで遠野家の経済をまかなっていくこととなった。
 さて、1990年7月7日午後10時過ぎ、壮子は長い通話のあと、自分が養っている家族全員を居間に招集し、七夕は棚機とも書き、織物の文化と密接に結びついているというエピソードから始めて、桐生市の役場がオリヒメ市にあることを皆に思い出させたのち(オリヒメは7月7日を象徴する女神であり、一年に一度この日が晴れなければ愛する男神と邂逅出来ないという、遠距離恋愛の代表者でもある)、シロ玉という桐生特有のカイコが戦後十数年の間にいかに貴重で神秘的な絹を作り出したか、それがひいては貧しかった日本の産業の礎を築き、復興の役に立ったかについて滔々と熱弁をふるった。
 だが、シロ玉はウィルスに弱かった。他品種の輸入、交配を経て、かの美しい種は一気に絶滅した。あたしは、そのシロ玉をもう一度この桐生に甦らせたい。壮子は七夕の夜、家族の前でそう力強く言い放った。
 美和の中で、この不在のカイコ復活への母の情熱は、退職以来まるで仕事をしようとしない父への叱咤激励と直接つながっており、同時に皮肉にも当の父を失踪させてしまう原因でもあった。
 しかしながら、シロ玉と同じく太一が不在になったからといって、壮子の活動が終息することはなかった。むしろ、そのカイコが太一自身であるかのように、壮子はシロ玉の復活を願った。ちなみに、それ以来毎年七夕には、遠野家の居間に巨大な笹が飾られ、短冊に「甦れ!」「甦れ!」「甦れ!」と執拗に同じ達筆が踊ることともなったのである。
 我々の調べでは、娘二人のうちで美和のみが両親のこうした行動のちょっとした過剰を気に病み、逐一記憶にとどめていた。姉・香は幼稚園の頃から、我関せずという外界への一貫した態度でつとに知られており、一時は自閉傾向も認められていたくらいだった。
 家族の中で最もよく繰り返されたのは、香が小学校高学年の修学旅行時、同級生集団とキョウト市内ではぐれた折の逸話である。一時間後、担任に発見された彼女は、交差点の中央で「人」の形になって止まった二台の大型トラックの、ちょうど文字の接点のあたりに立っていた。正面衝突という最も派手な交通事故に巻き込まれたのだが、奇跡的に香には怪我はなかった。そして、救急車とパトカーと野次馬と担任の金切り声で騒然とする夕方の交差点で、香は静かに大判の雑誌を読み始めたのだという。理由を聞かれる度に、暇だったからと香は面倒くさそうに答えた。
 美和は恋愛以前、この姉に苦手意識を持っていた。自分は愛されていないと感じたし、自分が愛しているのかどうかも不明だった。香をどう扱っていいのか、美和はまるでわからなかったのである。いや、それを言ったら、美和は母の扱い方もわからなかった。父に至っては、扱おうにも消えていた。
 だから遠野美和はいつも微笑んでいた。とまどっている時、美和の顔は柔和になった。その笑顔のまま高校を卒業し、短大英文科をトマス・ハーディ作品を使った文法教育を受けて出ると、祖父の会社に入る話を断って(先に姉がそうしてくれていたから、母からの反対はさほど強くなかった)、市内のパン屋を数店経営する会社に就職した。
 本社を『洞窟コーポレーション』と言った。チェーン店の名は『パン・ド・フォリア』、<狂気のパン>であった。美和は小学生の頃から通っていたこのパン屋で、自分が過去食べたパンの名前をすべて言えた。くるみパン、クロワッサン、狂気のクロワッサン、レーズン入り食パン、チーズ&パセリ練り込みロール、狂気のチーズ&パセリ練り込みロール、あずきカンパーニュ、クラブハウスサンド、懐かし蒸しパン、狂気の懐かし蒸しパン、有機野菜BLT……。美和は洞窟コーポレーションの社長から驚異の新人と呼ばれ、企画事業部に配属されることがすでに内定していた。
 そして、入社前研修中の1994年3月10日、あの午前8時46分が訪れる。
 華島徹のいる東京には雨が降っていた。だが、美和の桐生市は曇りだった。

 
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by seikoitonovel | 2009-07-05 13:28 | 第一小説