自由 


by seikoitonovel
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父2-1


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第二章


新しい出発


 S28年(23歳)の上京の時期は、左右社会党も労働運動も激しい対立抗争の最中にあった。それはその後の日本の政治と労働運動の進路を決定づける思想対立であった。階級闘争によって共産主義的革命政権(独裁政権)を樹立するか、自由と民主主義を発展させる立場から民主的手段によって政権を獲得して政治を行うのか(選挙による政治家の選出、議会主義)の闘いであった。私は後者を選択したのである。またそれは新聞記者から政党活動家への選択であり、新しい出発であった。
 日本社会新聞の記者となり、労働組合運動の担当となった私は、毎日のように当時芝市兵衛町にあった海員組合の本部と三田の総同盟本部に通った。自転車もなく、三宅坂からすべて徒歩であった。私は海員組合では和田春生、木畑公一氏ら、総同盟本部では古賀専、中島桂太郎氏らにあって、取材活動を続けた。上京当初の私に確たる信念はまだなかったが、これらの指導者の話を聞く度にだんだんその運動の目指すものが理解できるようになっていった。
 私は右派社会党の書記ではなかったが、武蔵野支部の党員となった。支部長は中村高一代議士であり、書記長は市議の後藤喜八郎氏(きいちゃんと呼ばれ人気があった。のちに武蔵野市長)であった。私に目をかけてくれたのが伊藤重雄市議であり、伊藤さんには新しい下宿を探してもらったりした。選挙の時にはこの伊藤さんの事務所に張り付いて応援した。
 さて労働運動の方はといえば、4単産声明後これに賛同する産別の間で「全国民主主義運動連絡協議会」(民労連)が設立され、4単産のほかに総同盟、常磐炭労、全食品、日本鉱山、全国港湾同盟、全化同盟、造船労連、国鉄民主化同盟、全造船石川島分会、全国土建総連などの産別が加わった。そしてS29年4月22日、全労会議の結成となった。組織人員80万名であった。
 一方、左右社会党が急速に接近し、S30年の統一へと進む。森戸・稲村論争、講話問題、日米安保問題などで激しく対立し、その社会党を支える労働組合が大きく分裂したのにもかかわらず、両社会党がなぜ統一を急いだのか。一つは自民党の吉田内閣が崩壊し、鳩山内閣となり、にわかに鳩山人気がたかまったこと、総選挙を目前にひかえて左右分裂のままでは共に低落するのではないかとの危機感によるものであった。このため基本理念は置き去りにされ、統一綱領では党の性格を「階級的国民政党」とした。まさに水と油を混ぜ合わせたようなものであった。すなわち階級政党論は暴力革命をも容認して一党独裁政権を目指すものであり、自由と民主主義を否定する内容を包含する。国民政党論はこれを否定し、国民の自由意志による選挙によって多数を占めた政党が政治を担うという民主主義にもとづく。まさに相容れない思想なのである。
 全労はこうした便宜主義的な統一に強く反対した。
 私たちは両者統一後も日本社会新聞の発行を独自に続けた。私は総評批判を止めることはなかった。このため統一社会党書記長となった浅沼(稲次郎)さんから「おい、あまり総評批判ばかり書くな」と言われたことがあった。


<いとうせいこう注
 ここまで読む限り、父にプロレタリア独裁を選択する余地はなかったようだ。
 いわんや無政府主義をや。

 また、今回から「第二章」と区分を付けた。
 さかのぼって冒頭に「第一章」という一行を入れる>
 


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by seikoitonovel | 2009-06-05 20:16 | 第三小説「思い出すままに」